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公開シンポジウム:「〈異他なる空間(ヘテロトピア)〉へ──映像・景観・詩──」

日時:2014年11月22日14:00-18:00
場所:立教大学 池袋キャンパス 7号館2階7205教室

《報告・討論者》
石田尚志(いしだ・たかし、画家・映像作家、多摩美術大学准教授)
石山徳子(いしやま・のりこ、北米地理学研究、明治大学教授)
倉石信乃(くらいし・しの、美学・美術史、明治大学教授)
虎岩直子(とらいわ・なおこ、アイルランド文学・文化論、明治大学教授)
林みどり(はやし・みどり、ラテンアメリカ思想文化論、立教大学教授)

2014年11月22日、立教大学池袋キャンパスで公開シンポジウム <異他なる空間>へ──映像・景観・詩──が開催された。「異他なる空間」と訳すことができる「ヘテロトピア」は、資本やテクノロジーが最大の統括規範となってきた現代世界で、フーコーによる「反=場所」としての提唱以来、規範と反規範の関係を具体的な「場所」「空間」に関連させて考察する装置として注目されてきた。本シンポジウムは芸術・記録写真史・社会地理学・社会文化論・芸術制作、様々な角度から「ヘテロトピア」の実践を検証するものであった。

全体の進行としては、司会にあたった林みどり氏(立教大学教授)がまず「空間」への介入についての思想史的流れをルフェーベルやセルトーに言及しながら辿り、「ヘテロトピア」の意味の変遷を解説し、当該概念が再び注目されていることを指摘した。

「ヘテロトピア」を空間に最初に用いたのはミシェル・フーコーで1960年代後半であった。フーコー初出の『言葉と物』(1966)序文の中では、「ヘテロトピア」は言語空間において生成する通常ではあり得ない空間を意味するものである。しかし、この抽象的な空間概念から、翌年チュニスで建築者集団に向けて行われた講演で、フーコーは、現実には存在しない「ユートピア」に対して、「ヘテロトピア」を現実に存在する具体的な空間として定義し直す。

抽象的な空間から具体的な空間へと変化はするが共通項はある。それは、一般的日常的な規範に対して「異他」であるということで、言語空間を統括する統辞法、あるいは共同体を統制する「法」から「異他」の空間が「ヘテロトピア」となる。チュニス講演でフーコーが「墓地」「売春宿」「植民地」という極めて具体的な場所を例証したことから、「ヘテロトピア」はある意味で想像しやすい空間となり、資本や技術中心という「法」に支配された世界に異議を唱える実践のとして現実世界の中の「ヘテロトピア」創出が展開されている。

シンポジウムの趣旨説明に続く虎岩直子の発表は、フーコーが「ヘテロトピア」の一典型とした植民地的状況を呈する北アイルランドの景観・詩作品と視覚芸術作品を具体例として、創造力と「ヘテロトピア」の関係、そして日常生活世界の規範から逸脱してその規範を見直す契機を与える「芸術作品」の倫理的意義についての議論であった。紛争後ダーク・ツーリズムの目的地ともなっている北アイルランドの都市は、政治的壁絵が遍在して異様な景観を見せているが、そこは主流規範に対して「異他の空間」とはなっているのではなく主流規範と同質の資本に翻弄される場所である。虎岩は都市空間の「異他性」を開くのは現実の景観ではなくそれを眺める視線であるとして、フーコーが「ヘテロトピア」として特別な地位を与えた「鏡」に比喩される「芸術」に着目する。具体的には、期間限定の視覚芸術作品(ベンジャミン・デ・ブルカ)による「ヘテロトピア」提示の可能性と、日常生活世界の中に「ヘテロトピア」を見る視線を招待するシネード・モリッシーの詩作品を解析した。

植民地ヘテロトピア」の議論は、写真史家・倉石信乃氏(明治大学教授)の「アイヌ民族」や「入植地」の記録・記念写真(「北海道開拓写真」、幕末に来日した外国のアマチュア写真家によるアイヌ集落の写真など)の詳細な分析を通して、実証的かつ創造的に展開された。倉石氏は、リジッドな制度空間を賦活しそれにリアリティを与えているいわば「プラス」の「ヘテロトピア」(劇場、美術館など)に対して北海道を中心に、先住民の土地を後から入植・開拓する行為によって出来上がった文化的混淆の場所を、かりに「負のヘテロトピア」と呼ぶ。入植の土地(掛川源一郎による「北海道の沖縄村」)は炭鉱の跡地沖縄(伊志嶺隆による西表炭鉱の廃墟)と同様に、近代化に特有の遺跡・廃墟へ向かう道程をたどっており、かつての自然に還ろうともしている。その「空間」を「負のヘテロトピア」の墓所化=クリプト化と論じた。

3番目の発言者・石山徳子氏(明治大学教授)は人文政治地理学者の立場から、さらに実証的に、アメリカ先住民族による植民地主義の歴史への抵抗の営みとも解釈できる動きについて、フーコーのヘテロトピアの概念に照らしながら読み直しを試みた。ワシントン州の南東部に位置するハンフォード・サイトはプルトニウムの生産を目的としたマンハッタン計画の一拠点として1943年に設置されて以降、第二次世界大戦から冷戦期にかけて同国の原子力開発を支えてきた。そのいっぽうで、この地は世界有数の放射能汚染の現場でもある。2015年には除染作業が一段落するのに伴い、ハンフォード・サイトの土地使用方法について連邦諸機関、隣接する町、そしてこの土地との歴史的な接点を主張してきた先住民族のあいだで議論が行われている。国家安全保障政策のもとに構築されたハンフォード・サイトの空間に内在する権力構造と混乱の諸相、さらにこれに異議申し立てを行いつつ、自らの生活文化圏の再構築を目指す先住民の抵抗について、ヘテロトピアの実践の現場として考察した。

林みどり氏の発言は鋭利な切り口で、現実空間に「鏡のヘテロトピア」を出現させた例として社会政治史上の事件を読解した。メキシコほか、強権政治体制下でいまだに各地で起こる「強制執行」の数々の視覚的証拠を示した後、林氏は専門領域の南米アルゼンチンの事件を解析する。20世紀後半、南米の軍事政権下では、数万のひとびとが強制的に失踪させられ、いっさいの痕跡をとどめず「消滅」(強制失踪)させられたり、幼くして出自を奪われ、記憶をすげ替えられたりしてきた。こうした制度的暴力に対して、民衆は奪われたという事実の顕在化、非在のひとびとに表象可能性を奪還しようとするさまざまな試みを行った。ブエノスアイレスの大統領官邸前で繰り返された「五月広場の母」と呼ばれる運動では公的存在証明である身分証明写真を掲げながら公から非在とされている子どもたちの存在を主張し、「五月広場の祖母」運動では鏡をもちいて、非在の人々の映し出されるはずのない存在を証明する。現実の社会空間に可視化しえないひとびとの「場所なき場所」を可視化する無謀な企てを実行する「鏡」は「ヘテロトピア」として現実世界に異議申し立てをする。

5人目のパネリスト・石田尚志氏(多摩美術大学・映像作家)は、「アトリエはどこにあるか──作品が作られる場ついての具体的な報告」というタイトルで、1990年代初めから絵画制作、ついで映像制作を行ってきた石田氏自身が制作活動の場とした幾つかの不安定な空間と作品の関係について、映像作品と制作記録映像を見せながら語った。たとえば、作家活動の出発の地である沖縄や90年代前半にライブ・ドローイングをしていた東京夢の島公園、「部屋/形態」(1999)の撮影をした東京大学駒場寮(当時撤去命令が出ていた)は石田氏にとって(そしておそらく1990年代の平均的都市生活市民にとって)異他の空間として立ちあらわれて、作家・石田氏に大きな作用を及ぼした。石田氏は「その異他の空間との出会いそのものが作品として結実していった」と語る。正面からの視線を受け止めるのではなく、正面視線の脇や視線とホリゾンタルに広がって行く画面世界を創造して、現実世界を「ヘテロトピア」として見る視線を招来、あるいは視線自体を制作しているともいえる。芸術作品が「ヘテロトピア」であり、主流制度に呪縛された現実世界に内在する「ヘテロトピア」を開示しているのである。

以上のように様々な領域での「ヘテロトピア」実践を探るシンポジウムであり、パネリスト発言後の質疑応答も、最近の実験演劇『東京ヘテロトピア』の有効性やフロイトの「不気味なるもの」との関連など、現実空間と観念装置を結ぶ「ヘテロトピア」の面白さが浮き彫りになるものであった。「ヘテロトピア」の魅力と強みはフーコーの定義の揺れにあるとも言える。現実と観念、社会と美学における「異他」の領域を不安定なまま網羅する概念装置が「ヘテロトピア」なのであろう。(虎岩直子)