研究ノート 利根川由奈

グローバルとローカルの狭間──ヨコハマ・トリエンナーレ2014におけるウィム・デルボア《低床トレーラー》
利根川由奈

2014年8月1日から11月3日に開催されたヨコハマ・トリエンナーレ2014(以下ヨコトリ)で、会場の一つであった横浜美術館前には、巨大なトレーラーが設置されていた。その儚げな、と同時に存在感のある姿を記憶に留めている方々も多いのではないだろうか。ウィム・デルボア(Wim Delvoye, 1965-)の《低床トレーラー(Flatbed Trailer)》【図1】は、ゴシック建築風の装飾が施された全長20メートルほどのトレーラーである。実際に稼働することはないものの、運転手用のハンドルや座席、ミラー、タイヤといったパーツや、開閉可能なドア【図2】、運転部と荷台の接合部分などのディテールの造形に目を向けると、この作品は実際のトレーラーの緻密な調査と分析に基づいて制作されていることが推察できる。

【図1】ウィム・デルボア≪低床トレーラー≫のヨコハマ・トリエンナーレ2014での展示風景。(2014年8月1日筆者撮影)
【図1】ウィム・デルボア≪低床トレーラー≫のヨコハマ・トリエンナーレ2014での展示風景。(2014年8月1日筆者撮影)
【図2】トレーラー左側面、運転席部分。ドアの下には運転手が乗るための階段も作られている。(2014年11月1日筆者撮影)
【図2】トレーラー左側面、運転席部分。ドアの下には運転手が乗るための階段も作られている。(2014年11月1日筆者撮影)

筆者自身、ヨコトリのボランティアとしてギャラリーツアーのトーカーを務めた際にこの作品を取り上げた。その理由は、一つにはそれが、作家の情報抜きで鑑賞したとしても多くの情報や暗喩を読み取ることができ、なおかつオブジェとしての美しさや力強さを兼ね備えている点にある。だが、もう一つの理由は、筆者がつねづねルネ・マグリットを中心とするベルギー地域社会と芸術の関係性に関心を持ってきたことに関連している ※1。事実、ベルギー・フランドル地域出身のデルボアは、これまでグローバリズムとローカリズムをめぐる問題系のなかで語られ、多文化主義時代の旗手として国内外で評価されてきた ※2。そこで本稿では、デルボアの《低床トレーラー》の分析を通じて、その造形性のうちに秘められたグローバル/ローカルをめぐる問題について改めて検証することを試みたい。

まず、デルボアの《低床トレーラー》には要素同士のズレを可視化させるための装置がいくつか仕掛けられている点に注目したい。デペイズマン的な要素の組み合わせは鑑賞者に日常の異化効果をもたらすと考えられるが、この作品においてズレは、垂直と平行、中世と現代、儚さと頑強さ、グローバルとローカル、の少なくとも4点に見て取れる。はじめに、ゴシック建築は天上への垂直な上昇を表すために尖塔アーチという特徴的な方式が採用されているが【図3】、垂直はトレーラーの進行方向である平行とは異なるため、垂直と平行という異なるベクトルの運動が作品内に同居していると言える。次に、ゴシック建築の教会の多くが中世に建造されたことを踏まえれば、20世紀に製造されたトレーラーとゴシック建築という時代的に出会うはずのない要素がこの作品に共存していると気が付く。

【図3】トレーラー左側面、尖塔アーチに似た装飾の部分。(2014年11月1日筆者撮影)
【図3】トレーラー左側面、尖塔アーチに似た装飾の部分。(2014年11月1日筆者撮影)

三点目以降は詳細に検討したい。この作品は錆に覆われた繊細な装飾が目を引くが、この装飾によって、本来は強固なはずのトレーラーが年月の経過に伴って崩れ落ちてしまいそうな印象を見る者に与える。しかし《低床トレーラー》は屋外に設置されることを想定して制作された点に特徴があり、その特徴はこの作品に使用されたコルテン鋼という素材に顕著に表れている。コルテン鋼は塗装をしなくても錆の腐蝕があまり進まず、内部まで腐蝕されないため、建造物の耐用年数をのばすことができる特殊な鋼材である ※3。この作品はコルテン鋼のもたらす茶褐色の錆に全面を覆われており、一見すると風雨にさらされるうちに崩壊していくような儚げな印象を鑑賞者に与えるものの、実際は屋外での展示に数十年は耐えうる頑強な作品として制作されている。

四点目のグローバルとローカルのズレについては、この作品と文化政策との親和性の高さに着目して考察したい。その理由は、上記で述べたようにこの作品が屋外展示に適しており、そのためにサイトスペシフィシティを持つとみなされるためだ。一般的に文化政策がサイトスペシフィシティを芸術作品に要求する目的は、芸術作品を用いて都市のアイデンティティ形成や設置場所の文化的価値の向上を狙う意図があるためだと考えられている。デルヴォワは《低床トレーラー》と同じコルテン鋼を用い、工業用乗り物にゴシック風の装飾を施したゴシック・シリーズと呼ばれる作品群を制作しているが、これらの中には公的機関の依頼を受け公共空間に設置されている作品も存在する。その中で代表的なものは、ベルギー・ブリュッセル市の住宅街に設置された《コンクリートトラック》(2004年)【図4】である。

【図4】ウィム・デルボア≪コンクリートトラック≫の展示風景。
【図4】ウィム・デルボア≪コンクリートトラック≫の展示風景。(2014年3月6日著者撮影)

作家によれば、《コンクリートトラック》はブリュッセル市の依頼を受けて制作し、設置場所も市から指定されたという ※4。作品設置に関して近隣住民は反対運動を起こしたというが、設置後はこの作品を見るために観光客が増える、近隣の地価が上がる、などの効果を生んだため、今は住人に受け入れられているとのことだ。これまでデルボアのゴシック・シリーズは、作家の出身地であるフランドル地域特有の文化を表現していると考えられてきた ※5。なぜなら、西フランドルに残るゴシック建築の教会群から作家がインスピレーションを受けており、このシリーズにおける装飾は作家の私的経験を基盤にしていると解釈されてきたからだ。彼の作品がローカリズムに基づくと解釈された理由として、かつてフランドル地域を治めていたフランドル伯の紋章である赤い舌を出す黒いライオンを描いた ※6《アイロン台》(1988年)【図5】やフランドル地域の教会で見られるようなステンドグラスをサッカーのゴールと一体化させた《パンとサーカス1》(1989年)【図6】など、フランドル地域の歴史や伝統文化をモチーフにした1980年代のデルボアの作品制作が挙げられる。ポストコロニアリズムやマルチカルチュラリズムの思想が現代アートの分野でも隆盛を極めていた時代背景を考慮すれば、これらの作品は時代の潮流を意識したものであったと考えることもできる。

【図5】ウィム・デルボア≪アイロン台≫、アイロン台にエナメル塗料、1988年。図版は以下の作家による公式サイトを参照。www.wimdelvoye.be
【図5】ウィム・デルボア≪アイロン台≫、アイロン台にエナメル塗料、1988年。図版は以下の作家による公式サイトを参照。www.wimdelvoye.be
【図6】ウィム・デルボア≪パンとサーカス1≫、ステンドグラス、鉄、鉛、エナメル塗料、ゲント市立美術館、1989年。図版は以下の作家による公式サイトを参照。www.wimdelvoye.be
【図6】ウィム・デルボア≪パンとサーカス1≫、ステンドグラス、鉄、鉛、エナメル塗料、ゲント市立美術館、1989年。図版は以下の作家による公式サイトを参照。www.wimdelvoye.be

しかし、こうした見方はデルボア作品が内包するグローバルとローカルを巡る問題の重要な点を見落としてしまいかねない。というのも、デルボアの作品には地域文化の固有性を脱臼させようとする意図が透けて見えるためである。彼の出身地であるフランドル地域は、中世から政治的・経済的に発展していた地域であり、他国との貿易によって栄えた商人たちの後ろ盾があって北方ルネサンスが開花した。そのため、彼の作品に見られるフランドルとは、その始まりの時点からグローバリズムとローカリズムを内包していた場所であり、よって彼がフランドルのモチーフを使用する意図は彼の主観的ローカリズムに依拠するものではない可能性が浮かび上がる ※7。《低床トレーラー》に話を戻すと、デルボアの言葉に従えば、西フランドルのゴシック建築の教会はその土地固有の文化ではなく、多文化の混交によって生まれたものであると言う ※8。西フランドルにおいてゴシック様式の建造物が建立されたのは15世紀だが、当時の西フランドルはハプスブルク家の統べる神聖ローマ帝国の一部であり、フィレンツェとの文化交流が盛んであった。つまり、ゴシック様式は交流の過程でフィレンツェから持ち込まれた様式なのである。したがって、西フランドルの文化遺産と呼ばれている建築物をその土地固有のものと断言することは難しい。この歴史背景を踏まえるとデルボアは、ゴシック・シリーズにおいて、純粋に固有の文化は存在せずその文化の発祥の時点でグローバリズムの影響から逃れられない状態を示唆したと考えられる。ニコラ・ブリオーもまた、デルボアの作品ではたびたび文化の固有性やグローバリズムが争点となっていると指摘している ※9。ブリオーは、風車や運河などオランダを示唆するモチーフをデルフト焼でガスボンベ ※10に描いたデルボアの作品《19個のガスボンベのインスタレーション》(1988-1989年)【図7】を例に挙げ、デルフト焼は今でこそオランダの名産品とされているが、その起源は東インド会社を通して輸入された中国の陶磁器にあると述べ、オリジナルだと考えられているオランダ文化は生成時から既にグローバル化の影響下にあったと語る。

【図7】ウィム・デルボア≪19個のガスボンベのインスタレーション≫、ガスボンベにエナメル塗料、1988-89年。図版は以下の作家による公式サイトを参照。www.wimdelvoye.be
【図7】ウィム・デルボア≪19個のガスボンベのインスタレーション≫、ガスボンベにエナメル塗料、1988-89年。図版は以下の作家による公式サイトを参照。www.wimdelvoye.be

そしてブリオーは、ある地域の文化がオリジナルであると語られるのは、ポストモダニズムの議論の中においてグローバル化の虚像としてローカリズムが語られるためだと述べた。パブリック・アートを用いた文化政策に関する議論では、同じような作品を世界各地に点在させることで逆にその場所の固有性を奪うことに繋がりかねないという指摘が既になされている ※11。だが、前述のようにゴシック建築も一つの場所に留まっていた様式ではないため、グローバリズムの暗喩としてゴシック風装飾を捉えるならば、ゴシック・シリーズはグローバル/ローカルを巡る文化の二面性を示したと言える。というのもゴシック・シリーズは、一つの価値基準に基づく芸術作品が世界中に置かれることで文化的価値の画一化がもたらされる事態に対する危惧、またグローバル化の影響によって生まれた文化であっても、ひとたびその土地に根付いて人々に受け入れられたのであればローカルなものに成りうる可能性を持つと示唆したと考えられるためだ。換言すれば彼のゴシック・シリーズは、グローバル化の証であると同時にローカル化の証でもあるのだ。とはいえデルボアは、帝国主義的な文化のグローバル化とそのアンチテーゼとして極端に保守に傾いたローカル化のどちらか一方を断罪したり、積極的に状況を変えようと働きかけたりするわけではない ※12。むしろ彼の作品は、グローバル化とローカル化という対極的な運動が高速で進んでいく現代社会の状況を暗喩として現代の乗り物であるトレーラーで示し、そのトレーラーにゴシック様式の装飾を施すことによって現代と中世を架橋し、アイデンティティ獲得のために葛藤を続ける人間の営みがこの何百年も変化していないことを露わにしたに留まっているように見える。

では、デルボアが自身の作品にグローバルとローカルの双方の性質を付与したのはなぜだろうか。この問題を考えるにあたって、多文化主義の文脈から語られるインカ・ショニバレの作品とデルボアの作品とを比較してみたい。ショニバレの作品《ブランコ(フラゴナールの後に)》(2001年)【図8】は、ブランコに乗った女性が左足を投げ出し、靴を放っている様子を模したインスタレーションである。この作品の着想源がジャン・オノレ・フラゴナールの《ブランコ》(1768年)であることは一瞥して明らかである。二つの作品は構図が酷似しているものの、両者の差異は女性のドレスに顕著に表れている。というのも、フラゴナールの作品ではフランス・ロココ期の貴族のドレスが描かれているのに対し、ショニバレの作品のドレスはアフリカを想起させるエスニックな柄であるためだ ※13。このドレスの生地はオランダろうけつ染め(Dutch wax print)と呼ばれる、植民地時代に西アフリカで製造されていた生地に見える。しかし、実際はそうではなく、ショニバレがロンドン・ブリクストンで購入した「アフリカ的」な生地にすぎない。この操作から明らかになるのは、鑑賞者に「アフリカ的」と思わせるためには実際にアフリカ産である必要はないこと、つまり「アフリカ的」と思われている生地や柄、また「アフリカ的」文化は、外部の人間のイメージの産物であり、固有性を持たないことである ※14

【図8】インカ・ショニバレ≪ブランコ(フラゴナールの後に)≫(部分)、マネキン、綿の生地、2つの靴、椅子、2本のロープ、オークの枝、人工の葉、テートモダン、2001年。図版は以下を参照のこと。http://www.tate.org.uk/art/artworks/shonibare-the-swing-after-fragonard-t07952
【図8】インカ・ショニバレ≪ブランコ(フラゴナールの後に)≫(部分)、マネキン、綿の生地、2つの靴、椅子、2本のロープ、オークの枝、人工の葉、テートモダン、2001年。図版は以下を参照のこと。http://www.tate.org.uk/art/artworks/shonibare-the-swing-after-fragonard-t07952

一見ショニバレの作品は、デルボア作品とその問題を共有しているようにも見える。しかし、両者には決定的な差異がある。ショニバレは鑑賞者として西洋のアートワールドに属する人々を据えているように思われるが、デルボアは反対にアートに関心のない人々を想定しているためである。アートや歴史の文脈の理解なしにショニバレ作品を評価するのが困難なのに対し、デルボア作品は文脈を必要とせずとも何かしらの気づきを得ることができる。デルボア作品の持つこの性質を作家本人は「アートの民主性」 ※15と呼ぶが、彼はこの性質を作品に付与するために、我々の身近にあるモチーフを作品に組み込んでいるのだ。両者の想定する鑑賞者の差異は、手法の違いにも表れている。ショニバレの使用する生地は「アフリカ的」であるがアフリカで生産されたものではない。何よりショニバレの場合、鑑賞者の第一印象を裏切るためには「アフリカで生産されていないにもかかわらずアフリカ的なもの」である必然性がある。しかしデルボアの作品におけるゴシック装飾やデルフト焼は、専門の職人の手によって制作されており、「地域的だがそうでないもの」ではない。この差異から明らかになるのは、デルボアの作品で使用される伝統工芸の技術はその土地に根付いたものであるために、鑑賞者は作品に用いられた高度な技術に感嘆することができ、その土地の職人に思いを馳せることができることだ。《低床トレーラー》においても、我々に馴染みがあり、かつ労働と直結したトレーラーがモチーフとして使用されているために、鑑賞者は職人の仕事を自身の身近な問題として思い浮かべやすくなるという効果が生まれているように思われる。つまりデルボアにとってのローカルとは、地域の固有性という抽象的な概念ではなく、地域で暮らしを営む人間や地域で制作された事物に向けられた眼差しであると言える。グローバル化の証左としてのゴシック風装飾を、チェコの金属職人の手によって再現したデルボアの手法は、グローバル/ローカルがデルボアにとって不可分の概念であることを物語っているように見える。

以上の検討から、《低床トレーラー》は、グローバル(=ゴシック装飾)とローカル(=トレーラー)のズレを具現化し鑑賞者に違和感を抱かせた上で両者は表裏一体であると示すことによって、鑑賞者の想像力をアートの知識の有無と関係なく引き出す可能性を持った作品と考えることができるだろう。

利根川由奈(日本学術振興会/京都大学)

[脚注]

※1 ベルギーは1830年の独立時より、オランダ語圏のフランドル、フランス語圏のワロン、地理的にはフランドルに位置しながらフランス語話者が多数を占める首都のブリュッセル、の大きく分けて3つの地域に分裂していたため、言語・文化問題に端を発する地域紛争はベルギーの政治だけでなく芸術にも大きな影響を与えてきた。ベルギーという国ではなく、各地域に由来するアイデンティティ獲得の試みが、文学や美術に大きく反映されてきたためである。1993年の憲法改正では連邦制へと移行し、外交などを担う連邦政府、インフラ整備、雇用など経済的政策を担う「地域」3つ、教育・言語などに関する文化的政策を担う「共同体」3つ、の計7つの政府がベルギー国内に生まれたため、現在のベルギーは事実上分裂した国家とも呼ばれている。ベルギーの連邦制については、以下の文献を参照のこと。松尾秀哉『ベルギー分裂危機―その政治的起源』明石書店、2010年、13-26頁。

※2 デルボアは近年、ルーヴル美術館の現代アートの企画展にて、ルーヴル美術館の所蔵品とともに作品展示を行う個展や(2012年5月31日―9月17日)、プーシキン美術館での個展(2014年6月25日―9月30日)を行っている。

※3 コルテン鋼の腐蝕メカニズムや経年変化の詳細については以下のサイトを参照のこと。新日鐵住金:http://www.nssmc.com/product/plate/COR-TEN.html(2014年11月1日閲覧)

※4 2014年8月1日、ヨコハマ・トリエンナーレ2014におけるウィム・デルボアのアーティストトークでの発言。

※5 Luc Derycke, «A conversation with Wim Delvoye», in Wim Delvoye, 1, Delfina/Luc Derycke, Londres/Gand, 1996, p.80.

※6 フランドル伯は864年から1795年まで、現在のフランス北部、ベルギー北部にかけてを統治したフランドルの領主である。フランドル伯の紋章には、黄色の背景に赤い舌、赤い爪を持つ黒いライオンが描かれている。

※7 デルボア作品におけるローカリズムの特徴は、自身の出身地以外をも対象にする点にあるだろう。彼はオランダ、チェコ、中国などで長期滞在しながら現地の職人とともに制作を行っているが、こうした制作方法によって彼は各地域に住む人間を通して地域の実像を作品に結ぼうとしているように思われる。「エスニックでトライバルな、社会に根付く作品を制作したい」、「私的な議論に囚われないデモクラティック・オブジェクトを制作したい」(2014年8月1日、ヨコハマ・トリエンナーレ2014におけるウィム・デルボアのアーティストトークでの発言)とデルボアが述べていることからも、彼の射程はフランドルだけでなく世界の各地域に向けられていると考えられる。

※8 2014年8月1日、ヨコハマ・トリエンナーレ2014におけるウィム・デルボアのアーティストトークでの発言。

※9 Nicolas Bourriaud, «Wim Delvoye, ornement et travail», Wim Delvoye, [commissariat de l'exposition, Gilbert Perlein], Skira Flammarion. Musée d'art moderne et d'art contemporain de Nice, Nice, 2010, p.16.

※10 ガスボンベの中にはブタンガスが充填されているが、オランダはブタンガスの原料である天然ガスの世界有数の産地でもある。

※11 野田邦弘『文化政策の展開──アーツ・マネジメントと創造都市』学芸出版社、2014年、105頁。

※12 グローバル企業をグローバル化の、人間の身体をローカル化の比喩として対照的に作品内に組み込む操作は、他のデルボア作品にも見出せる。例えば、彼の代表作の一つである《クロアカ》(1986年―)は、人間の消化機能・排泄機能を疑似的に行う機械に食材を投入し、排泄物を生成するインスタレーションである。この作品は消化・排泄という人間の日常的営みをテーマにしている一方で、自動車メーカーのフォードやファーストフードチェーンのマクドナルドのロゴをもじったクロアカのロゴが用いられている。この点からも、グローバル/ローカルの対比がデルボア作品の一つの軸であることがわかるだろう。

※13 この作品でマネキンが着ているドレスにはシャネルのロゴマークが付されているが、この生地はシャネルのものではなく、ロゴは作家によって付与された。この身振りは、「アフリカ的」生地はフランスの、あるいはヨーロッパの生地を模倣した虚像に過ぎないこと、ショニバレに代表される「アフリカ的」現代アートは西洋のアートのコピーであること、を半ば嘲笑的に示唆しているようにも思われる。

※14 この点にはショニバレも自覚的であると言える。“A picture of a pipe isn’t necessarily a pipe, an image of “African fabric” isn’t necessarily authentically [and wholly] African”. (2014/12/15閲覧) なお、ショニバレ作品における布地とグローバル化の関係については以下の論文を参照した。石谷治寛「理性の眠りは怪物を生みだすか?―インカ・ショニバレの船と布地」、『表象08』、月曜社、2011年、158-178頁。

※15 2014年8月1日、ヨコハマ・トリエンナーレ2014におけるウィム・デルボアのアーティストトークでの発言。