小特集 研究ノート プレ・メディウム的条件──拡張映画とニューメディア論

プレ・メディウム的条件──拡張映画とニューメディア論
古畑百合子

ここ数年、美術史家のロザリンド・クラウスによって提唱された「ポストメディウム的状況」という言葉が映画学やメディア研究の領域で使われることが増えてきた。「ポスト」という形容詞は時代的な転換、あるいは状況の変化を示唆する。そのせいか、90年代以降のニューメディア論の領域ではポストメディウム的状況という概念は、デジタル革命以降のメディア環境、つまり記録・伝達媒体としての近代メディアが独立性を失って融合していく技術的な状況と重なるものとして意外と短絡的に捉えられることが多い。しかし、クラウスが意味するポストメディウム的状況は、もともと60年代から台頭したインターメディア、そしてインスタレーションという「芸術一般」(art-in-general)へと向かう作品がコンセプチュアル・アート以降急増していった歴史的状況を分析するために使われた概念である(※1)。アートの「可能性の条件」としてのメディウムの固有性を擁護するクラウスにとって、デジタル・コンバージェンスなどの言説に代表される90年代以降のメディア環境の変化は、必ずしもポストメディウム的状況とは重ならない。なぜなら、フリードリヒ・キットラーやマーク・ハンセンなどのニューメディア論者が唱える「メディウム」概念と、クラウスが美術史の文脈から引き出す「メディウム」概念は同義ではなく、別々の認識論的な見地に基づいているからだ(※2)。もちろん、重なる部分は少なくない。けれども、この二つの文脈が取り替え可能なものとして誤解されることで、逆に見えなくなってしまうテクノロジーとアートの歴史的な関係性がある。そのためにも、いったんニューメディア論の言説から離れてクラウスのメディウム論に戻ることで、ポストメディウム的状況という概念を映画学やメディア研究の領域に再度取り込む作業が必要とされている。そのような必要性を前提に、この小論では固有性ではなく一般性へとアートが向かうポストメディウム的状況への批判としてクラウスが展開した「メディウム」の再定義、とくにそれを支える「技術的支持体」と呼ばれる概念に注目し、60年代に台頭した拡張映画(エキスパンデッド・シネマ)をケーススタディとして「プレ・メディウム的」とでも呼びうる技術的支持体の条件について考えてみたい。

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クラウスのメディウム論とニューメディア論の認識論的な齟齬を理解するのに役立つのは、『ニューメディアのための新しい哲学』(New Philosophy for New Media, 2004)で展開されたマーク・ハンセンによるクラウス批判だろう。ハンセンは、クラウスがコンセプチュアル・アートによる写真の利用を分析する際に参照したヴァルター・ベンヤミンの複製技術時代の芸術論、とくに従来の芸術の単独性を否定する「オリジナルのないコピー」としての写真という考えを、際限なく反復されるデジタル・データという技術的な状況に当てはめることで「デジタル化はポストメディウム的状況の到来を示している」と断言している(※3)。しかし、このような技術決定論的なハンセンの解釈には、メディウムの固有性というモダニズムの価値観に対抗するかたちで「芸術一般」を志向する作品が増えていく60年代以降の美術史的な文脈から「ポストメディウム的状況」という概念を切り離してしまう危険性がある。

とはいえ、デジタル化されたメディア環境がポストメディウム的状況の代名詞であるかのように断言しているにもかかわらず、ハンセンがもう少し複雑なかたちで「技術」の問題を扱っていることも確かだ。例えばハンセンは、デジタル革命以降のメディアアートではメディウムの物質的な固有性が減少するのと比例して情報を処理するインターフェイスとしての身体の機能が高まるという点に注目することで、クラウスのメディウム論が時代遅れの古いテクノロジーの再発見という救済的なパターンを審美化していることへの適切な批判をしている(※4)。また、『北海航行──ポストメディウム的状況の時代における芸術』(‘A Voyage on the North Sea’: Art in the Age of the Post-Medium Condition, 1999)と「メディウムの再発明」(1999)などのクラウスの初期の論考をもとにハンセンは、クラウスのメディウム論が単一の物質的支持体に還元しえない複数の「技術的支持体」としてのメディウム、そして、その複合性ゆえに内在的に自己差異化しているという特性を持っていることを指摘し、その複合的な技術的支持体の一部として身体を位置づけようとしている(※5)。

このような複合性と自己差異化という特性は、クレメント・グリーンバーグ流の物質的支持体と統一性によって一元的に規定されるメディウムの狭い定義を越えるために、クラウスが60年代の構造主義映画や70年代のヴィデオアートの分析をとおして提示した考えだ(※6)。ただし、クラウスにとってのポストメディウム的状況は、美術批評の言説と決して切り離せないものであり、よって複製技術の発展という技術決定論的な視点には収斂されえない。にもかかわらず、デジタル・テクノロジーとそれを使ったメディアアートの「新しさ」を根本的に擁護するハンセンが捉えるポストメディウム的状況は、最終的にテクノロジーの変化と因果的に結びつけられることで技術決定論的な結論となってしまうことを免れない(※7)。そこで見落とされるのは、認識論的な枠組みとしての言説の役割だ。

ポストメディウム的状況を理解するにあたって重要なのは、テクノロジーの変化ではなく、まさに言説の変化だという点だろう。クラウス自身もフーコーに言及することで、エピステーメーとしての言説の重要性を強調している(※8)。例えばクラウスが提示する複合性や「差異化する固有性」(differential specificity)という概念を例にとってみよう。これらは、絵画のキャンバスなどの「加工されていない物質的支持体」によって規定される固有のメディウム、そしてそのメディウムのもつ「統一性」を肯定するグリーンバーグ以降の美術批評の言説に批判を加えるために使われている(※9)。ポストメディウム的状況という言葉自体も、美術批評という言説の内側で認識論的な転換を図るためにクラウスが戦略的に使っているものだ。さらに注目すべきなのは、自己差異化や複合性といった概念だけでは、クラウスが再定義するメディウム概念を理解するのには十分ではないという事だろう。なぜなら、技術的支持体という概念自体が、芸術のジャンルが固有の物質的支持体によって規定されるというグリーンバーグのメディウムの定義に代わるものとして使われているのであって、そこで問題になるのは自己言及を可能にさせる表現の「再帰的構造」としてのメディウムという考え方だからだ(※10)。

クラウスが再定義する「メディウム」の根底にあるのは、複合性や自己差異化といった特性ではなく、ある技術的支持体が可能にする表現のルールやシンタックスによって生成される再帰的構造というある意味ではまったくモダニスト的な考え方だ。そういう意味では、クラウスとグリーンバーグの違いは、物質的支持体を自己言及の対象とするか、それともルールとしての再帰的構造を自己言及の対象とするか、という違いでしかない。ただし、クラウスは再帰的構造としてのメディウムを言語体系や論理的パラダイムになぞらえる。そこで展開されるのは、「技術的支持体」に固有の条件によって規定された枠組み内で、表現のための一連のルールやシンタックス、あるいは文法をアーティストが再帰的に反復、参照することで、固有性を持った構造あるいはパラダイムとしてのメディウムが確立されるという考えだ(※11)。だからこそクラウスは、マルセル・デュシャンのレディ・メイド以降の「芸術一般」へ向かうアート、特にインターメディアやインスタレーションといったメディウムの固有性を否定するアートの形式が形骸化していくことで現在のポストメディウム的状況が生まれているという認識のもと、そのような状況に逆らうかたちで幾人かのアーティストが古い時代遅れのテクノロジーや商業的な表現形式をアートの領域に技術的支持体として取り込むことで、新しい一連のルール、あるいはパラダイムとしてのメディウムを「発明」することに成功している、と結論づけているのだ。つまり、ポストメディウム的状況は、「加工されていない物質的支持体」という狭義のメディウム概念の定義に対抗するための「技術的支持体」とそこから派生する表現のパラダイムとしての再帰的構造という考えから切り離せない。注目すべきは、ここで問題になる「技術」が単にハードウェアとしてのテクノロジーではなく、慣習や技法を含む広義の「技術」であるという点だ。言い換えれば、複製としての写真から複製可能なデジタル・データという技術決定論的な視点からポストメディウム的状況を分析するハンセンはハードウェアとしての技術に焦点を当てており、再帰的構造を可能にするルールや文法としての技術というクラウスの考えを見過ごしているのだ。

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では、このようなポストメディウム的状況とハードウェアとしてのテクノロジー(例えば、ヴィデオやコンピュータ)の歴史的な関係はどのようにして捉えるべきなのだろうか。あえて美術批評の言説の内側にとどまろうとするクラウスは、ハードウェアとしてのテクノロジーの歴史的な発展とメディウム概念の関係を分析するための納得のいく方法論を提示しているとは言いがたい。だからといって、キットラーやハンセンのように技術決定論的な方向へ向かうのは避けたい。それでは、どのような方法論が可能なのだろうか。ここで手がかりになるのは、時代遅れになった商業用テクノロジーが技術的支持体としてアートの領域で再発見されるというクラウスが好むベンヤミン的な救済のロジックだ。ハンセンは、この救済のロジックをメディア考古学的と批判的に呼んでいる(※12)。確かにクラウスには、ベンヤミン的な救済のロジックとポストメディウム的状況への英雄的な抵抗行為を暗黙のうちに肯定する傾向がある。その代表が、クラウスが賞賛するジェイムス・コールマン(James Coleman)によるスライド映写機とコミックの再利用だといえるだろう。クラウスによれば、スライド映写機という時代遅れの技術的支持体をフォト・ロマンやコミックといった商業的で低俗な(つまり芸術的ではない)活字メディアが作り出した一連のルール、あるいは文法と組み合わせることで、コールマンは再帰的構造としての独自のメディウムを「発明」したということになる(※13)。

時代遅れのスライド映写機を技術的支持体として使用することである固有のメディウムを発明するという作業が、ポストメディウム的状況への抵抗でありうるとすれば、その逆に、ヴィデオやコンピュータといった時代の先端をいく技術的支持体を使うことでメディウムの固有性の消滅へと向かったのが、クラウスが否定するインターメディアとインスタレーションの流れだ。クラウスがインターメディアやインスタレーションの流れに批判的なのは、それらが自己言及を可能にする再帰的構造としての固有のメディウムを放棄するだけでなく、最新の流行を追うことでベンヤミン的な救済のロジックに反しているからだといえるだろう。

興味深いのは、『北海航行──ポストメディウム的状況の時代における芸術』でクラウスが展開するマルセル・ブロータスの分析だ。最近出版された『青いコップの下』(Under Blue Cup, 2011)では、ブロータスはコールマンやウィリアム・ケントリッジと並んで「メディウムの騎士」と賞賛されている。ところが十年以上前に発表されたポストメディウム的状況の初期の論考である『北海航行』では、ブロータスの仕事はもう少し両義性を孕んだものとして分析されている。例えば、ブロータスの映像実験についてクラウスは次のように書いている。「インターメディアとアートの終焉を代弁するかのように思われているブロータスの作品には、〈救済的〉としか呼びようのない裏地があてられているのだ(※14)」。統一されたメディウムの固有性の消滅へと向かったインターメディアの代弁者としてのブロータスが表だとすれば、初期映画の持っていた開放性を技術的支持体として再利用することで、映画という複合的で自己差異化するメディウムの持っていた救済的(redemptive)な可能性を追求したブロータスが裏ということになる。そして、この表と裏の緊張関係は別の箇所では「資本に仕えるイメージのグローバリゼーションと共犯関係にあるインスタレーションとインターメディア作品」とそれらに抵抗するかたちで時代遅れのテクノロジーを技術的支持体として救済するアーティストの作品との緊張関係に置き換えられる。ポストメディウム的状況とは、まさにこの表と裏をつなぐ緊張関係そのものによって特徴づけられているのだ(※15)。

クラウス自身は分析していないが、同じような緊張関係を60年代の拡張映画(エキスパンデッド・シネマ)の実験に徴候的に見出すことができる(※16)。例えば、初期の拡張シネマを論じた研究にシェルドン・レナンの『アンダーグラウンド映画』がある。そこでレナンは「「拡張シネマ」は、映画製作のある特別なスタイルにあてられた呼び名ではない。それはいろんな方向へと通ずる一つの探求精神にたいして与えられた呼び名である」と書いている(※17)。もちろん、このような拡張映画の定義については議論の余地があるだろう。ただし、ここではあえて、マルチ・プロジェクションという形式とヴィデオやコンピュータを使った映像、そしてパフォーマンス・アートと交錯することで従来の平面的なスクリーンを超えた、映像環境の形成という方向へ向かった拡張映画の試みとして捉えたい。スクリーン、映写機、フィルム等の従来の映画に特有の複数の技術的な装置に注目することで映画というメディウムの固有性を模索した構造映画の実験とは逆に、拡張映画の実験は、ヴィデオ、コンピュータ、ストロボ、スライド映写機、光の環境、そして身体的なパフォーマンスといった非映画的な要素をふんだんに取り入れることで、映画の輪郭を不確かなものとした。その点では、ポストメディウム的状況の象徴とされるインスタレーションやインターメディアの試みとかなり重複している。にもかかわらず、拡張映画あるいはエキスパンデッド・シネマという呼称が明示するように、それは映画というメディウムの固有性を完全に放棄するのではなく、その表現の可能性の条件としての再帰的構造のパラダイムを変革する目的を持っていたともいえるのではないだろうか。

このような固有性の探索と放棄という二つの側面をもつ拡張映画は、その両義性ゆえにポストメディウム的状況の徴候であり、またそのために、技術的支持体とハードウェアとしてのテクノロジーの変容について考える際の手がかりを与えてくれる。最後に、拡張映画をケーススタディとして、もう一度「技術」の問題にたちもどってみよう。メディウムが装置としてのテクノロジー、あるいは技術ではなく、一連のルール、シンタックスあるいは文法のような再帰的構造をもった表現のパラダイムとしての技術によって規定されているのであれば、拡張映画を特徴づけるのは、物質的支持体としてのスクリーンやフィルムではなく、一回性のあるパフォーマンスとしての映写という行為、そして、マルチ・プロジェクションという投影の形式といった文法にあるといえないだろうか。

ここでは、再帰的構造を支えるルールあるいは文法としてのマルチ・プロジェクションという形式に注目して、拡張映画の技術的支持体が意味する「技術」について考えてみたい。物質的支持体である映写機ではなくマルチ・プロジェクションという形式が、拡張映画の技術的支持体の一部として、つまり再帰的構造のルールとして取り入れられるようになるのは60年代である。では、この形式自体はどこから来たのだろうか。もちろん、初期映画の時代から、アベル・ガンスに代表されるように複数のスクリーンを使うという試みは行われてきた。けれども、60年代に一気に広まるマルチ・スクリーンそしてマルチ・プロジェクションという形式は、映画史の内側からではなく、コールマンが使用したフォト・ロマンやコミックという形式と同様に非アートの領域から取り込まれた文法として解釈することが可能だ。なぜなら、この形式が表現の再帰的構造として確立されていく過程には、ドーム型の投影環境、あるいは観客を取り囲むような没入型の環境を作るという作業が含まれているからだ。

60年代の拡張映画でしばしば使用されたマルチ・プロジェクション、あるいはマルチ・スクリーンの形式の歴史的背景は、フォトロマンやコミックの文法のように非アートの領域に求められる。ところが、それは商業的な分野というよりは軍事的な分野で多く利用されていた技術だ。建築史家のバリー・カッツやベアトリス・コロミナが指摘するように、いくつものスクリーンを使ってドーム型の投影環境を作りだすというデザインの発端は、第二次世界大戦の諜報機関の活動、そして情報をより多く同時にディスプレイするという軍事的な需要から生まれた(※18)。コロミナは冷戦下の1959年にモスクワで開かれたアメリカ博で建築家のイームズ夫妻が披露した7つのスクリーンを使った『アメリカの光景』(Glimpses of the USA)を分析しながら「マルチ・スクリーン、マルチメディアという展示のモデルは、戦況報告室だったであろう」と述べている。同様に、アメリカの拡張映画作家スタン・ヴァンダービークが建てたドーム型のマルチ・プロジェクション環境「ムービードローム」を分析しながら、映画研究者のジェイコブ・プロクターは、多面スクリーンと多数の映写機を使った拡張映画の実験が冷戦下の軍事技術開発の歴史と深く結びついていることを指摘している。プロクターによると「ヴァンダービークのムービードロームの構想は、原子力という不安を煽る背景と防空壕とコントロール・ルームという閉じられた世界という冷戦の典型的な設定」に基づいていた。裏庭に建てられたドーム型の上映設備自体が、50年代から60年代に流行った通信販売で買えるファミリーサイズの防空壕の建築と呼応しているのだ(※19)。そして、イームズ夫妻によるマルチ・スクリーン映画の実験とヴァンダービークのムービードロームの実験の両方が、レナンや他の映画史研究者によって拡張映画の典型として扱われていることを考慮するならば、マルチ・スクリーンあるいはマルチ・プロジェクションという形式は、軍事技術開発という非アートの領域からアートの領域に再帰的に取り込まれることで、拡張映画のメディウムの技術的支持体の一部となったと結論づけられるのではないか。同じような分析は、67年のモントリオール博、そして70年の大阪万博などの万国博覧会で展開された拡張映画と環境芸術を支えた技術的支持体についても行える(※20)。ここで重要なのは、このような非アートの領域から取り込まれる技術的支持体の歴史性だ。軍事技術開発の歴史から切り離せないマルチ・スクリーンそしてマルチ・プロジェクションという形式の政治性は、そのハードウェアにあるのではなく、それが再帰的に文法、あるいはパラダイムとして反復される歴史的な可能性の条件にあるのだ。このような非アートの領域が提供する文法としての技術的支持体の条件をここでは「プレ・メディウム的条件」と呼びたい。

こうして、軍事技術開発や万国博覧会といった商業的な領域から生まれたマルチプロジェクションという形式をハードウェアとしてのテクノロジーの変容という視点から捉えるのではなく、ルール、文法あるいは表現のパラダイムとしての再帰的構造を支える技術的支持体の「プレ・メディウム的条件」の変容として捉えることで、クラウスの唱えるポストメディウム的状況と拡張映画のような映像実験の関係を歴史的に位置づけることが初めて可能になる。非アートとアートの境界自体が判然としない状況で展開していった拡張映画にクラウスのメディウム論を当てはめるのには無理があるかもしれない。けれども、プレ・メディウム的条件という表現を使うことで見えてくるのは、ハードウェアとしてのテクノロジーではなく、ルールあるいは文法としての技術的支持体の歴史性なのだ。この試論で提案したプレ・メディウム的条件という視点は、複製技術としての写真からデジタル革命へと一直線にテクノロジーの変化をたどるハンセンの技術決定論的な視点とは別の角度から、クラウスのメディウム論を捉えなおす手がかりになると思われる。物質的な支持体あるいはハードウェアとしてのテクノロジー、そして、表現の再帰的構造という二つのメディウム理解の違いを踏まえることで、より適切に美術批評の言説とメディア研究の言説の接点を理論化することができるのではないだろうか。

古畑百合子(マギル大学)


[脚注]

※1 Rosalind Krauss, “Reinventing the Medium” Critical Inquiry 25.2 (Winter 1999), 294.

※2 Rosalind Krauss, Under Blue Cup. Cambridge, MA: The MIT Press, 2011, 33.

※3 Mark B.N. Hansen, New Philosophy for New Media. Cambridge, MA: The MIT Press, 2004, 2.

※4 Ibid., 23.

※5 Ibid., 24-25.

※6 クラウスは、サミュエル・ウェーバーの「自己から差異化するテレビ」という典型的に脱構築的な視点に頼って技術的支持体としてのテレビあるいはヴィデオを分析している。Krauss, Under Blue Cup, 119.

※7 Hansen, 24.

※8 Krauss, Under Blue Cup, 25.

※9 Rosalind Krauss, A Voyage on the North Sea: Art in the Age of the Post-Medium Condition. New York: Thames & Hudson Inc., 1999, 56.

※10 Ibid., 6.

※11 Rosalind Krauss, “‘…And Then Turn Away?’ An Essay on James Coleman,” October 81 (Summer 1997): 5-33.

※12 Hansen, New Philosophy For New Media, 23.

※13 Krauss, “‘…And Then Turn Away?’ An Essay on James Coleman,” 9.

※14 Krauss, A Voyage on the North Sea, 45.

※15 Ibid., 56.

※16 クラウスは構造映画(structural film)を、映画の技術的支持体が複合的であること、つまり単一の物質的支持体に還元できないメディウムであることを意識したうえで、映画というメディウムの固有性とunityを志向した実験として位置づけている。

※17 シェルドン・レナン著、波多野哲郎訳『アンダーグラウンド映画』、三一書房、1969年、286頁。

※18 Barry Katz, “The Art of War: ‘Visual Representation’ and National Intelligence,” Design Issues 12.2 (Summer 1996): 3-21. Beatriz Colomina, Domesticity at War. Cambridge, MA: The MIT Press, 2007などを参照。

※19 Jacob Proctor, “From the Ivory Tower to the Control Room,” Stan VanDerBeek: The Culture Intercom, ed. Bill Arning and João Ribas. Cambridge, MA: The MIT List Visual Arts Center/ Contemporary Arts Museum Houston, 2011, 105.

※20 詳しくはYuriko Furuhata, “Multimedia Environments and Security Operations: Expo ’70 as a Laboratory of Governance,” Grey Room 54 (Winter 2014): 56-79を参照。