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特別企画展:アートプログラム「響存」について

特別企画展:アートプログラム「響存」について

特別企画展:アートプログラム「響存」について

特別企画展:アートプログラム「響存」について


このたびシリーズ形式の展覧会「アートプログラム・響存」を企画しました。「響存」をキーワードとして「人間」、「霊性」、「生物」、…と、小タイトルの展覧会を15回開催します。各展覧会では、福岡の画家たち4〜5名のセッションにより生命の響きを捉える試みが行われます。だが、「響存」とは何でしょう。

3.11以後、最も多く使われた言葉は「絆」であったと言われています。生と死の極限において人と人の「つながり」の大切さが強く意識されたのでした。が、しかし「絆」や「つながり」という言葉の内実は想像以上に深いものがあり、その点に思いを寄せなければ、言葉の普及とは逆に大事なことが取りこぼされて上滑りな言葉になってしまいかねません。

ちょうど震災後の2011年7月に京都大学で開催された第6回表象文化論学会のテーマは「ペルソナの詩学」でした。若手研究者の方々のシンポジウムに続く森村泰昌氏と小林康夫氏の対談では、「ペルソナ=仮面」による変様の可能性と不可能性をめぐって、しばしばぞくっとするエロスを垣間見させながら虚像(コピー、レプリカ、偽物)と実像の間を往来するスリリングな対話が印象的でした。「ペルソナ=仮面」とは、和辻哲郎や坂部恵らの論考にもあるように社会的な「役割」や他者との「間柄」という「関係性」を表しています。しかも、〈仮面=マスク〉と〈隠れた自己〉、虚構と真実という両義性を持ち、複雑にねじれた関係性を生み出しています。学会での議論は、このテーマを基に世界と人間との不可解な関係性を根源から問いかけるものでした。同年『デスマスク』(岩波新書)を著された岡田温司学会長ならではのバックアップの賜かとも思われました。この問いは、さらに2013年表象文化論学会のパネルのひとつ「フォネーとロゴスのあいだ」にも受け継がれていましたが、そのパネルで佐藤真理恵氏の論考でもふれられていたように、「ペルソナ」という語は「per-sonare 」つまり「音を介して」から作られています。ここで私が特に注目したいのはその「sonare」=「音、響」です。

実はそのヒントは哲学者・鈴木亨氏の著書『響存的世界』(三一書房)に寄るものでした。鈴木氏によれば、人間を表す「person」とは「personare」から来ていますが、それは「仮面」という意味だけでなく、「貫いて響く(per-sonare)」の意味を持つとされています。そして人間とは〈こだまし合う存在である〉として「響存=Echosistenz」という概念を提唱されました。

鈴木氏の議論は、西田哲学をベースとする難解なものであり、ここで要約するには私の能力的限界がありますが、「存在者逆接空」という一つのエッセンスにふれておきましょう。世界の響きがまず先にあって「私」が在る。響きに包まれることによって人格は形成される、ということでしょう。その響きとは、言葉以前の声、肉体のふるえ、身体のゆらぎ、生物学的生命の波動に根ざしています。この「響存」概念は、空海の言葉「五大に響きあり」を連想させもします。

人格や人間関係が極めて希薄になっていると思える今日、鈴木氏の「響存」という言葉は、生命の次元から人間と世界とのつながりを探る概念として注目に値するのではないでしょうか。もちろんそれは最終的な解答ではなく、ここからさらに様々な問いが派生してくる一つの切り口であることは言うまでもありません。

今回、この問いを念頭にアートの現場の可能性を求めて「アートプログラム『響存』」を企画しました。世界は響き、すべての生は響き合っている、…そんな呼びかけに応じた福岡の作家約70名に参加して頂きました。画家だけでなく、作曲家、舞踏家、映像作家なども含みいつもと違う刺激に満ちた展覧会となりそうです。東京や大阪の文化圏から遠く離れた福岡から、「響存」というキーワードをせいいっぱい発信します。(武田芳明)

以下、プログラムの一部を紹介させていただきます。
※なお会場はすべて「ギャラリー風2F」:福岡市中央区天神2-8-136新天町北通り

・session 01:響存“人間 ”展/2013.11.19~11.24
「絵の奥から誰かが〈わたし〉を見つめている。そこに描かれている人間のまなざしなのか?それを描いた画家のまなざしなのか?それとも鏡のように映る〈わたし〉のまなざしなのか?いやもっと遠いところから射しこむ人間以前のまなざし…その不可知のまなざしに包まれている〈わたし〉とは一体誰なのだろう?…6名の画家が描く人間(ペルソナ)と語り合って下さい。」
出展作家:田浦哲哉、宍戸義徳、向坂万基子、前田信幸、矢津田貴子、川崎恵美

・session 02:響存“霊 性 ”展/2013.12.10~12.15
「絵を描くのは画家ではない。宇宙的な大きな力が画家の身体を借りて描くと言えばいいだろうか。おおらかに、あふれるように、キャンバスの上を色や形となって駆けめぐるその超自然的な力を〈霊性=Spirituality〉と呼ぶ。わたしたちの生命の源泉がここにある…。」
出展作家:廣末勝巳、八坂圭、三好るり、河野剛広

・session 03:響存“生物 ”展/2013.12.24~12.29
「ここはのどかな動物園ではありません。動物であれ、昆虫であれ、魚であれ、生き物たちを描くことは、『描く』という人間的な表象行為が荒々しい自然の流動に巻込まれることです。画家は、その葛藤の最中において、もはや自然的とも、人間的とも言えない何か、アニマ(anima=魂)にふれようとします。…そのアニマの響きに耳をすまして下さい。」
出展作家:阿部健太、笹村佳菜、はる、うさかみ


以上に続いて2013年7月まで下記のテーマが続きます。

「界面」、「線・動」、「増殖」、「呼吸」、「植物」、「存在」、「色/空」、「肉/声」、「記憶」、「大地」、「生成」、「回帰」

映像・コミュニティ・アーカイヴ『懐かしさは未来とともにやってくる』
刊行記念トーク・イヴェント報告

映像・コミュニティ・アーカイヴ『懐かしさは未来とともにやってくる』刊行記念トーク・イヴェント報告

2013年9月に刊行された『懐かしさは未来とともにやってくる——地域映像アーカイヴの理論と実践』(原田健一、石井仁志編著、学文社)に関する刊行記念トーク・イヴェントが、11月4日に、京都のMEDIA SHOPを会場に開催された。登壇者・司会者は以下の通りである。

登壇者
:佐藤守弘氏(京都精華大学デザイン学部教授)
:原田健一氏(新潟大学人文社会・教育科学系人文学部教授)
:水島久光氏(東海大学文学部教授)
:前川修氏(神戸大学大学院人文学研究科准教授)
司会者
:松谷容作(神戸大学大学院人文学研究科研究員)

イヴェントは、著作の執筆者でもある佐藤氏が、著作を包括する「コミュニティにおける映像」と「アーカイヴされる映像」という2つのキーワードを、写真館の事例、鉄道写真の分析、さらには分類法の議論から提起することから始まった。次に同じく執筆者でもある原田氏は、プライヴェートな、あるいは小規模なコミュニティでの使用が大半だった小型映画映像を「痕跡性」という視座で分析しつつ、現代の映像アーカイヴの問題点などについて報告を行った。氏が指摘する問題とは、コミュニティ、プライヴェート空間での映像をめぐる様々な関係性(撮る、撮られる、観るなど)をどのように映像アーカイヴにおいて枠付けしていくのか、特に不可視な諸々の関係性をどのようにすくいあげていくのか、という点であった。続いて水島氏の報告は、アーカイヴ(ス)について、つまり諸アーカイヴを「つなぐ」ことについてのものであった。例えば、大きなアーカイヴと小さなアーカイヴの連携、小さなアーカイヴ同士の連携、アーカイヴとリアルな生活圏との接続、アーカイヴの自己言及的再生産など、氏によれば「つなげる」とはアーカイヴに再帰性、循環性をもたらす行為であるのだ。こうした映像アーカイヴを前提とした社会デザインを構想する必要性を提起し、氏の報告は終了した。以上の議論や報告をうけ、前川氏は、ヴァナキュラー写真、記録写真と芸術写真の間の群れ、シャドー・アーカイヴ(アラン・セクーラのコンセプト)というトピックを上げ、報告者に対し、「映像をめぐる身体性」、「映像のインデックス性とアーカイヴのインデックス性」、「ジェンダー」という問いを投げかけた。

その後は、前川氏の問いを会場の参加者を含めてディズカッションする形で会は進行し、盛況のうちに会は終了した。なお、このイヴェントの内容は2014年3月1日、2日に神戸大学と神戸映画資料館で開催される予定の「映像、アーカイヴ、アマチュア」をめぐるシンポジウムでさらに発展的に展開される予定である。(松谷容作)