第8回大会報告 パネル6

パネル6:ミュージアム的世界としてのアメリカ合衆国|報告:

2013年6月30日(日) 14:00-16:00
関西大学千里山キャンパス第1学舎3号館:C303教室

パネル6:ミュージアム的世界としてのアメリカ合衆国

ポートレートによる国家の歴史:ナショナル・ポートレート・ギャラリーの諸問題
横山佐紀(国立西洋美術館)

展示と保存と戦争の技術的連関:第一次大戦下のアメリカ自然史博物館を例として
丸山雄生(一橋大学)

創造論は科学か?:米国Creation Museumにおける展示の政治学と「戦術的博物館」言説
小森真樹(東京大学)

【コメンテーター】江崎聡子(青山学院女子短期大学)
【司会】小林剛(関西大学)

本研究パネルは、ナショナル・ポートレート・ギャラリー、アメリカ自然史博物館、創造博物館(Creation Museum)の三つの博物館を対象として、ミュージアム的世界としてのアメリカ合衆国について検討するものである。小林剛氏はイントロダクションとして、今日の博物館・美術館が直面するポストミュージアム的状況について紹介された。近代に制度および場として展開したミュージアムは、モノを収集・保存・展示する箱として意義を有したが、今日の私たちをとりまくメディア文化の変容――まさしくポストメディウム的状況――を経て、モノをどう見せるかという新しい〈展示〉のあり方が問題となっている。たとえば映像技術を想定してみても、ときに作品として、ときにアーカイヴとして、ミュージアムの概念を様々に拡張し、また変えつつあることが明らかだろう。こうしたポストミュージアムの視点においては、〈展示〉がはらむ文脈や観念までを含めて、ミュージアムのありようが再検討されることとなる。本パネルの「ミュージアム的世界としてのアメリカ合衆国」が考察するのは、最も先鋭的にこのポストミュージアム状況を反映しているアメリカ合衆国における事例である。

横山佐紀氏はワシントンのナショナル・ポートレート・ギャラリー(NPG)における、肖像画による国家の歴史展示について報告された。NPGは、19世紀半ば創立のロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーを手本とし、1968年に開館した歴史博物館である。展示される肖像画は、あくまでアメリカの歴史を示すために選ばれる。すなわち、画家や作品の芸術的価値ではなく、アメリカの歴史に寄与した人物という観点から構成される。ライフ・ポートレートであることをはじめとした収集規則が定められ、作品解説も肖像主の情報が先となるなど、美術と歴史の交点にたちつつも、その展示が見せるのは「アメリカ(人)とは誰か」という問いに対する答えである。それゆえ、NPGは各時代におけるナショナル・アイデンティティとしての〈アメリカ〉を、実在の人物群の展示を通して見せてゆくこととなる。たとえばこけら落としの『この新しき人――ポートレートにおけるディスコース』展は、60年代の冷戦や公民権運動を反映し、多様性の国としての〈アメリカ〉像がコンセプトとなった。また大統領ギャラリーの設置は、大統領の治世の歴史としての〈アメリカ〉を館にそなえることとなった。しかしこの〈アメリカ〉像が前景化するためには、対照される他者としての旧世界ヨーロッパ、また敵対する共産圏の存在が重要であった。ここにおいて〈アメリカ〉は、「〜でないもの」というやり方で自身の輪郭を補強している。

丸山雄生氏は、第一次大戦下におけるアメリカ自然史博物館(AMNH)を例として、展示・保存という博物館の主要な役割が戦争とどのように技術的に関連していたかを問うた。NPGが歴史の視点から〈アメリカ〉を規定していたとすれば、AMNHは「自然」の相のもとに、その「自然」に対する姿勢をも含めて、〈アメリカ〉を見せる。館内には19世紀なかばの創設以降、最新の研究成果を盛り込んだ展示が配されているが、今日においても多くの見学者にうったえるのは、おそらくカール・エイクリーによって20世紀初頭より制作されたアフリカ哺乳類のジオラマであろう。このジオラマはエイクリーのすぐれた剥製師、博物学者、彫刻家、野外写真家、さらには発明家でもあるという多方面の才能を結実させたものである。実際に彼はジオラマ制作のために、マネキン用セメント・ガンなどを用いる近代的な剥製術(エイクリー・メソッド)を考案し、また一方でアフリカの厳しい環境において野生動物の撮影記録を行うためのエイクリー・カメラを手がけた。これらはすべてアフリカの自然を写し、ニューヨークの中心地で保全して見せるために考案されたものである。こうした自然の保全を目的とした発明は、戦時下において軍事技術へと転用される。セメント・ガンは非熟練者による土木工事を容易にし、エイクリー・カメラは戦場での撮影を可能にした。エイクリーの新技術が軍事活用された背景には、AMNH自身の戦争協力があった。公衆衛生、栄養学や代替食糧といった科学知識の提供、またキャンプやボーイスカウトといった自然教育を通した国民の道徳的薫陶にいたるまで、AMNHと戦争との関係は積極的なものであった。20世紀の総力戦の様相のもと、AMNHの見せる〈アメリカ〉的自然は、いわば国民の「科学」的陶冶としてはたらいたのである。

「科学」を柱とする自然史博物館のありようは、あらゆる地域で唯一共通のもののように思われる。しかし現代アメリカには、もう一つの異なる極を見せる科学博物館がある。小森真樹氏の紹介する創造博物館(Creation Museum)、進化論を否定し、神が聖書の記述通りに地球を創ったとする創造論を基に設立されたミュージアムである。ケンタッキー州に2007年に開館した同館は、創造論に基づくミュージアムのなかでも最大規模の複合展示施設であり、多くの見学者を呼ぶ人気スポットであるという。同館はすでに創造論を信じる人へ向けた施設であり、見学者数は信仰者の裾野の広さを示すものであるが、厳密なマーケティングを行い、最新の体験学習型展示を擁するというミュージアム自体の魅力もその人気の一端だろう。注意しておきたいのは、同館が信仰施設ではなく、あくまで最新の科学博物館として展示を構成している点である。創造論をわかりやすいストーリーへとおとしこむ工夫とともに、進化論をひとつの説にすぎないとして、それと同格かつ正しいものとして創造論を「科学的」に位置づけるための展示方法が選択されている。したがって展示の形式自体は他の自然博物館と似通っている。同館には詳細に「再現」されたノアの方舟が展示されているが、それはAMNHにおけるエイクリーの哺乳類ジオラマと対をなすとも言える。創造博物館が私たちに見せるのは、最新展示技術を駆使した明るく楽しい現代〈アメリカ〉ミュージアムにおける展示形式への再注視と、展示における「再現」表象への本質的な疑問である。

以上3館はそれぞれ異なる性格のミュージアムであり、その展示方針・方法も様々である。それをふまえつつも見えてくるのは、複数の〈アメリカ〉、様々な価値観、世界観が重なり合い闘争しあう場としての〈アメリカ〉である。ここには、闘争に開かれたゆれ動く場としてのポストミュージアム的状況がよく現れている。さらに、肖像による歴史展示であれ、ジオラマによる科学展示であれ、眼を楽しませながら鑑賞者を教育してゆく展示空間のなかで、ミュージアムの見せる国家と世界の像は、常にその「再現」するものへの疑問をはらみ、ゆれ動く。おそらくこうした状況は、アメリカとは異なる条件のもとにある国家であっても、ポストメディウム的条件のもとでは多かれ少なかれ共通するだろう。さらに、実際の建築空間を必要としないヴァーチャル・ミュージアムも視野にいれるならば、ポストミュージアム的状況は、私たちの周囲をとりまいているとも言える。展示される〈アメリカ〉は、ミュージアムにおける展示が、どのような形式のもとで何を装いながら果していったい何を見せているのかを、私たちに問いかけている。

向後恵里子(早稲田大学)

【パネル概要】

「われわれは現在、まさに『ミュージアム的世界』(museological world)の中で生きている。この世界はそれ自体、この二世紀にわたるミュージアム的考察の産物であり、結果である。ミュージアムとは、われわれの近代性が長年にわたって産出され、育成され、維持されてきた中心的な『場』のひとつである」(伊藤博明訳)と美術史家ドナルド・プレツィオージは述べているが、この言葉は特にアメリカ合衆国という近代とともに誕生した国家においてリアリティを持つ。ヨーロッパの視線によって「新世界」として発見されたアメリカが、その始まりから表象/展示制度と不可分な形で発展してきたことは言うまでもないだろう。この新世界はどのような人間によってどのような歴史を持った国家として構築されてきたのか? 新たな国民に対して国家が啓蒙すべき知識はどのように編成され、どのように伝えられてきたのか? いかにして宗教的世界観がこの近代性の権化のように見える国家においていまだに生き続けているのか? 本パネルではこうした問いに答えるべく、ナショナル・ポートレート・ギャラリー、アメリカ自然史博物館、創造博物館という三つのまったく異なるミュージアムの分析を通して、国家の中枢で表象/展示制度が果たしてきた役割を考察する。議論においては「ニュー・ミュージオロジー」や「ポスト・ミュージアム」といった近年盛んに論じられているテーマについても積極的に展開していきたいと考えている。(パネル構成:小林剛)

【発表概要】

ポートレートによる国家の歴史:ナショナル・ポートレート・ギャラリーの諸問題
横山佐紀(国立西洋美術館)

私たちがミュージアムにおいて「知るべきもの」として得る歴史についての知は、いかなる政治的手続を経て構築され伝達されるのだろうか? 「アメリカの歴史、発展に貢献した人々のポートレートを収集、展示するミュージアム」として、1968年にワシントンDCに開館したナショナル・ポートレート・ギャラリー(NPG)とは、「いかなる人物に歴史的価値を認めるのか」というきわめて政治的な問いの上に成立する歴史ミュージアムであり(「美術館」ではない)、「誰をアメリカ(人)と認めるのか」というナショナル・アイデンティティの構築/表現と緊密に結びついた空間である。NPGという形態のミュージアムの起源は、1856年に開館したNPGロンドンに求められる。ワシントンで設立準備が進められた冷戦下の1950年代、一方でロンドンをモデルにしつつ、他方で反共産主義的な社会的文脈の中で「自由と民主主義のアメリカ(の歴史)」の独自性をいかに表現するかは、NPGにとってきわめて重要な問題であった。本発表では、人物の「歴史的重要性」がアメリカのNPGにおいてどのような手続を通じて判断されているのか、そのようにして選別された人物たちのポートレートから構成される国家の歴史が、その時々に必要とされるアメリカのナショナル・アイデンティティといかに密接な関係を結んでいるのかを、具体的なコレクションを取り上げながら検討したい。

展示と保存と戦争の技術的連関:第一次大戦下のアメリカ自然史博物館を例として
丸山雄生(一橋大学)

20世紀の総力戦では全国民、全産業が戦争に奉仕する総動員体制が作られたが、博物館もまた例外ではない。本報告では、第一次世界大戦下のアメリカ自然史博物館を例に、博物館がどのように戦時体制に協力したか、とくに展示のための技術がいかに戦争に転用されたかを考える。分析の中心となるのは、アメリカ自然史博物館で現在も公開されているアフリカン・ホールを作ったカール・エイクリーという剥製技師で、彼がアフリカの失われつつある自然を保存するために開発した技術は、軍事目的にも貢献することになった。たとえば剥製の土台を作るためのコンクリート・ポンプはトーチカや船の生産に用いられ、フィールドで使えるように改良された映画カメラや三脚は、耐久性や高可動性を評価され、サーチライトや索敵技術に生かされた。また博物館は、製作技術を提供しただけでなく、食品保存や自家栽培など市民が銃後で戦争に協力する方法を広め、公衆衛生の改善やアメリカの理念と戦争の大義を教える啓蒙的な展示に務めた。こうした例を通して、本報告では、20世紀初頭の博物館とアメリカ社会の関係を分析し、戦争を経て進展した移民のアメリカナイゼーション、国民統合、さらには20世紀後半の「アメリカの世紀」を準備することになる知の再編成において、博物館とその展示のための視覚技術が果たした役割を明らかにする。

創造論は科学か?:米国Creation Museumにおける展示の政治学と「戦術的博物館」言説
小森真樹(東京大学)

近年のミュージアム研究では、政治的な目的を持ち、目的達成のために利用される博物館を比喩的に「戦術的な博物館(tactical museum)」と呼び、その潜勢力を好意的に評価してきた。本研究ではこの理論を批判的に検討してみたい。

報告では、1980年代以降アメリカ合衆国に普及した「創造博物館」——天地創造の物語が科学的な根拠のある史実だとする、創造科学教育の博物館——から、博物館の持つ政治的な行使力が現代アメリカの科学観に果す役割を考察する。なかでもケンタッキー州のCreation Museum(2007-)を事例に、創造博物館が、複製品によって科学的証拠を提示して自分たちこそが正当な科学博物館だと主張していることを示す。近年の科学博物館に見られる、真正なる展示物を拝みに行く「神殿」型から娯楽・体験型教育の「サイエンス・センター」型へという変化は、真正な物がなくとも「科学博物館」が成立してしまう状況を生んでいる。創造論者はその状況を利用して「科学博物館」を定義する。

博物館の政治的な利用によって創造論を普及・正当化するCreation Museumの成功は、「戦術」とは決して建設的な側面だけでなく、不合理な文化戦争を伴うこともあると示唆している。本事例は、「科学」とは何かというアイデンティティ・ポリティクスを通じ、科学およびミュージアムの概念を再考する契機となるのではないだろうか。