トピックス 2

写真パネル展示
「ムネモシュネ・アトラス ——アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙」

去る2012年12月15日より22日までの一週間、東京大学駒場キャンパス21komcee MMホールにおいて、写真パネル展示「ムネモシュネ・アトラス――アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙」が開催された。ドイツの美術史・文化史家、アビ・ヴァールブルク(1866-1929)は、その晩年、古代の占星術図像から20世紀の報道写真にいたるまでの様々な図版を、黒いスクリーンが貼られた等身大のパネルに無数に並べてゆく壮大な図像研究を進めていた。そのパネル集の呼び名が「ムネモシュネ・アトラス」である。このプロジェクトは、ヴァールブルクの急死のため未完に終わり、アトラスは63枚のパネルを撮影したフィルムが残されているのみで、それ自体は現存しない。昨年、これら63枚すべてのパネルを詳細に分析した大著『ムネモシュネ・アトラス』(ありな書房)が伊藤博明氏(埼玉大学)、加藤哲弘氏(関西学院大学)、田中純氏(東京大学)の三氏によって上梓された(『REPRE』vol. 16、トピックス2)。この成果を受け、パネル63枚すべてを実寸大に近いサイズで再現し展示するというのが本展覧会の主旨であった。

この一連のプロジェクトは、田中氏の指揮のもと、下城結子氏(表象文化論研究室嘱託)、及び、原瑠璃彦と廣瀬暁春(ともに東京大学大学院総合文化研究科表象文化論コース修士課程在籍)をコアメンバーとして、ポスター、Twitterなどの呼びかけで集まった多くの学内・学外からのボランティアとともに推進された。展示物は、駒場博物館の協力のもと、すべて我々の手作りによるものであり、63枚という膨大な数の写真パネルの制作には、相当の時間と労力が必要であった。ボランティアには、建築系の学生もおり、文系理系の学生がともに活動する稀有な機会となった。

写真パネル63枚は、可動式ラックに取り付けることによって展示された。これは、各々のアトラスの配置を自由に動かすことを可能にするためである。通常展示時は、パネルは渦巻き状に固定配置され、鑑賞者はヴァールブルクによる膨大なイメージの迷宮へと迷い込んでゆくよう目論まれていたが、会場で行われる様々なイベントに応じてパネル配置は変更された。展示物には、ムネモシュネ・アトラス63枚の他に、パネル45を実際にカラーの図版で再現したものや、タロット・カードのように小さく印刷したムネモシュネ・アトラス・カード、さらに、後述の「新作パネル」3枚があった。

会場では展覧会のみならず、様々なイベントが開催された。ムネモシュネ・アトラスに直接関わる「特別イベント――ヴァールブルクの宇宙を拡張する試み」では、15日にレクチャー「新作パネルによるムネモシュネ・アトラス解説」が行われた。「新作パネル」とは、伊藤氏、加藤氏、田中氏の三氏がムネモシュネ・アトラスの手法に則って、それぞれ「ペルセウス、解放者」、「戦争の報道写真に現われる情念定型」、「ニンフとアトラス」といったテーマの下、全く新しく制作したパネルであり、これらのパネルをめぐってヴァールブルクさながらの熱烈なレクチャーが開講された。

同日の夜には、ダンス・パフォーマンス「Mnemosyne Atlas Performance」が披露された。これは、朗読・音楽・映像・ダンスによってヴァールブルクのイメージ宇宙を、ムネモシュネ・アトラス63枚の舞台空間に立ち上げようとするものであった。アトラスの中で扱われているニンフ、河神、身振り言語の最上級や、レンブラント絵画における「熟慮Besonnenheit」といったテーマを順番に取り上げ、それらの図版の映像、関連するヴァールブルクのテクストの朗読、音楽を背景に、ニンフに扮したダンサーが舞う。朗読テクストの編纂、作曲は原瑠璃彦が行ない、ダンスは表象文化論コース修士課程在籍の伊藤雅子とその盟友・伊牟田有美が担当した。

(22日には、シンポジウム「ヴァールブルク美学・文化科学の可能性」が行われたが、これについては登壇者の岡本源太氏による報告を参照されたい。)

また、展覧会場では、田中氏による教養学部後期課程の特別授業と、大学院の特別ゼミが開講された。大学院ゼミでは、既存のパネル47及び77に、ゼミ生各々が持ち寄った図版を追加したり付け替えることによって、ムネモシュネ・アトラスを「リミックス」する試みが行われた(これには門林岳史氏(関西大学)も飛び入り参加)。作業開始当初は手探りの状態であったが、それぞれ専門分野の全く異なる者達が持ち寄った図版の間に、思わぬリンクが見出されたり、もともとのアトラスが秘めていた「イメージの連鎖」の可能性が露わになっていったりする過程は、非常に刺激的であった。

その他、展覧会期中は、関連イベントとして、長木誠司氏のゼミ生によるオーディオ・ヴィジュアル・パフォーマンスや、渡邊守章氏演出によるマラルメ・プロジェクトIII「『イジチュール』の夜へ――「エロディアード」/「半獣神」の舞台から」の上映会も行われた。

以上のように、本展会期中は、半ば狂気的と言っても良いほどの濃密な日々であり、ここで得られた経験、成果はあまりに多く、かつ、それらは極めて貴重であった。

ムネモシュネ・アトラスの可能性は、精緻な史料研究に限らず、発見・研究の方法論、プレゼンテーションの手法、パフォーマンスの素材などまだまだ無限に開かれている。今後、本展の続編として、このような画期的なプロジェクトがまた生まれることを強く望んでいる。(原瑠璃彦+廣瀬暁春)

詳細情報は以下のブログをご覧下さい:
http://mnemosyne-ut.tumblr.com/


シンポジウム「ヴァールブルク美学・文化科学の可能性」

日時:2012年12月22日(土)14:00〜18:00
場所:東京大学駒場キャンパス21KOMCEE地下1階MMホール

  • プログラム:
    • セクション1「情念定型のメタモルフォーゼ──ベル・エポックのニンファ」
      • 提題者:小澤京子(埼玉大学)「情念定型のメタモルフォーゼ──ベル・エポックのニンファ」
      • コメンテーター:加藤哲弘(関西学院大学)
    • セクション2「ヴァールブルク的方法──G.ディディ=ユベルマンのイメージ論」
      • 提題者:森元庸介(東京大学)「像の連なり、想の連なり──ジョルジュ・ディディ=ユベルマンについて」
      • コメンテーター:田中純(東京大学)
    • セクション3「イメージの哲学──ジョルダーノ・ブルーノとヴァールブルク」
      • 提題者:岡本源太(岡山大学)「ジョルダーノ・ブルーノを読むアビ・ヴァールブルク──政治的図像学の一つの系譜」
      • コメンテーター:伊藤博明(埼玉大学)
    • 総合討議

美術史家アビ・ヴァールブルク晩年の未完の図像集『ムネモシュネ・アトラス』をめぐるシンポジウム「アビ・ヴァールブルクの宇宙MVNDVS WARBVRGIANVS」(2012年6月30日)から半年、去る2012年12月22日に同じ東京大学にて、続編となるシンポジウム「ヴァールブルク美学・文化科学の可能性」が開催された。前回が美術史・思想史・科学史の多角的視点からヴァールブルクの方法それ自体を深く掘り下げる試みであったとするなら、今回目指されたのは、その方法をヴァールブルクにとっての過去(ルネサンス)・現在(ベル・エポック)・未来(現代)にまで遠く押し広げることだったと言えるかもしれない。前回の提題者を務めた伊藤博明氏、加藤哲弘氏、田中純氏が今回はコメンテーターにまわり、代わって小澤京子氏と森元庸介氏、そして僕、岡本源太が提題をおこなって、ヴァールブルク晩年の思索をジョルダーノ・ブルーノからジョルジュ・ディディ=ユベルマンにいたるまでの歴史に照らす機会となった。

一見するとカッシーラー流の進歩主義的な精神史観をとっているかに思えてしまうヴァールブルクだが、しかし彼は「未開から文明へ」という図式から逸脱する歴史的事象に──こう言ってよければ「細部」に──つねに鋭敏だった。『ムネモシュネ・アトラス』もまた、そのような図式的な理解をたえず擦り抜ける。もしもパネルの一枚一枚をある時代精神の挿絵として眺め、パネルの連なりを西洋人の(あるいは人類の)精神構造の図解──これはたんに範囲を際限なく広げただけの時代精神の挿絵にすぎないが──として読もうとするなら、そのとき見えるのは(細部に目をつむるのでなければ)まさにそのような図式の解れと綻びばかりだろう。『ムネモシュネ・アトラス』は、歴史を鳥瞰するような普遍的な視点も座標も想定していない──それがジョルジョ・アガンベンの先駆的な指摘であったが、『ムネモシュネ・アトラス』と歴史(学)の関係は、一見したところよりもはるかに複雑である。時間を消去してすべての図像を等価に配列できるという思い込み、いまここにいる自分だけは鳥瞰的視点をとれるのだという思い込みを回避して、いかに歴史を捉えることができるだろうか。もしこの問いを引き受けようとするなら、今回のように『ムネモシュネ・アトラス』自体を、ヴァールブルク自身を、歴史化していく試み(しかもたんに「時代に位置づける」のとは異なる水準で)が、ますます必要になっていくことだろう。

本2013年に入ってからも、フランスの社会科学高等研究院(EHESS)を中心に編集されている美術史研究のオンライン電子ジャーナル『イマージュ・ル=ヴュ』(Images Re-vues)が「アビ・ヴァールブルクの残存」特集を組むなど、研究の進展はとどまるところを知らない。その特集に寄せた論文で、ダヴィデ・スティミッリが示唆的な指摘をしている。ヴァールブルクのメモに最初に「ムネモシュネ」の名があらわれたとき、それは記憶の女神ではなく、人々に謎をかけるスフィンクスを指していたのだという。『ムネモシュネ・アトラス』は、わたしたちに西洋文化の「分裂症」の解決策を差し出しているのではなく、まさにその問題自体を差し出している。ヴァールブルク自身、スキファノイア宮の壁画に関するかの有名な講演の締めくくりで、「わたしにとって重要なのは、よどみなく答えることよりも、新たな問いを取り出すことだ」と語ったように。(岡本源太)