第7回研究発表集会報告 パネル2

研究発表2:都市・建築・環境|報告:田中純

2012年11月10日(土) 10:30-12:00
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2

研究発表2:都市・建築・環境

機械的自然と自然的機械——モスクワ地下鉄建設にみる「自然の克服」
本田晃子(北海道大学)

山口勝弘とフレデリック・キースラー——「空間から環境へ」展を中心に
瀧上華(東京大学)

【司会】田中純(東京大学)

本セッションにおける研究発表のテーマは、かたやモスクワの地下鉄における装飾のモティーフであり、かたや1960年代の美術における「環境」という概念である。両者は時代も地域も異なっているが、そのいずれもが通常の建築物とは異なる空間性に関わっている。

本田晃子氏の発表「機械的自然と自然的機械──モスクワ地下鉄建設にみる「自然の克服」」は、1930~50年代のスターリン期におけるモスクワ地下鉄駅で頻繁に利用された「自然」のモティーフが、社会主義リアリズム建築の一要素としてどのような機能を果たしていたのかを、当時の建築批評の言説分析を通して明らかにした。本田氏によれば、自然の意匠を頻用した地下空間の有機化は、盲目的な自然力を人間が克服して「庭園」へと作り変えることを意味していた。その際、社会主義リアリズム批評の言説では、この自然の克服をもたらすものが、地下鉄駅を支える技術的構造それ自体ではなく、その構造を覆い隠す芸術的表現に求められていた。むき出しの自然力という「機械的自然」とそれを直接的に反映した技術という「自然的機械」の両者をともに乗り越える方法として、装飾的表象の顕在化が生じたのである。こうした構造と表層の分離によってはじめて、恣意的に操作可能な意味の領域が切り開かれ、自然をモティーフとした装飾が「庭園」を象徴化する。この装飾的表層こそは、地下鉄を利用する市民たちの日常と「自然の克服」という社会主義的理念の領域とを接合する、社会主義リアリズムの「境界面(イコノスタシス)」だったのである。

瀧上華氏の発表「山口勝弘とフレデリック・キースラー──「空間から環境へ」展を中心に」では、1966年に銀座松屋デパートで開催された「空間から環境へ」展をひとつの焦点として、主催者である「エンバイラメントの会」、とくに山口を通したキースラーの造形思想の影響がたどられ、そこにおける「環境」の概念が歴史的な視座から考察された。瀧上氏によれば、「空間から環境へ」展を通じて日本の美術界で広く用いられるようになった「環境」という言葉は、山口らにおいては、キースラーの「コルリアリズム」の思想と結びついていた。これは人間と環境との間の相関関連(コルリレーション)を造形を通して追求するものである。瀧上氏は「空間から環境へ」展の趣旨を考察するとともに、実際の展示空間を再構成することにより、この展覧会においてもキースラーと同様に、人間・環境間の相互的な関係性が重視されていたことを明示した。だが、実際の会場では作品同士の「衝突」が必ずしもひとつの連続した環境の形成にはいたらず、観客によって作品が破損させられてしまった例もあったという。このような問題の自覚を含めて、「空間から環境へ」展は1970年の大阪万国博覧会という「「環境」の大実験」を準備する「前哨戦」となった。瀧上氏の発表は、1960年代後半のこうした日本美術界の流れを「環境」概念を通して浮かび上がらせ、さらに、万博におけるスペクタクル的な環境のもとで観客の動きをコントロールする手法を徹底化させた山口が、その手法の反省を経て、「コミュニケーション」を主眼とするビデオアートへと向かう展望までを辿った。

本田氏との質疑においては、モスクワの地下鉄と他都市の地下鉄、あるいは地上の建築との比較という視点が提起された。前者についてはパリのメトロなどが挙げられる。後者に関しては、スターリン期のメガロマニアックな建築では細部が意味を持ちえないのに対して、地下鉄駅では細部がよく見えるという違いが指摘された。瀧上氏の発表に関しては、同時代の美術における「環境」概念を検討するための補助線として、靉嘔、浅田孝、実験工房といった美術家・建築家・制作集団との関係が取り上げられた。

瀧上氏も触れていたキースラーの作品として、通常の建築物のような柱や壁といった分節をもたない、楕円球が連なったような形状の《エンドレス・ハウス》の模型(1950年)がある。司会を務めた報告者には、これがいわば、型どりして地上に再現された地中に棲む動物の巣のように見えた。《エンドレス・ハウス》では、建築物の構造体をまず作るのではなく、人間の生活に即した「環境」の側から、いわば住まいの「内側」から連続した(境界のない)生活空間が形作られることによって、こうした類似が生じるのであろう。一歩踏み込んで言えば、キースラーの「環境」概念には、洞窟に居住していた太古の人類の感覚が認められるのではなかろうか。そして、地中に穿たれた空間を舞台としている点で、これは本田氏の発表のテーマとも通じているように思われる。「空間から環境へ」展が万博のスペクタクルに連接していった点を踏まえれば、芸術における「環境」概念が《エンドレス・ハウス》のような私的な次元──「住まい」にして「墓・棺」でもあるようなユートピア的な空間──を越えたとき、モスクワの地下鉄が「庭園」として演出されることで目論まれたような、大衆動員・操作の可能性に直結することが見えてくる。こうした「空間の政治性」を問う点でもまた、本セッションの二つの発表は関連し合う視座を開いていたと言えよう。

田中純(東京大学)

【発表概要】

機械的自然と自然的機械——モスクワ地下鉄建設にみる「自然の克服」
本田晃子(北海道大学)

1930年代から50年代にかけてモスクワに建設された地下鉄駅は、社会主義リアリズム建築の代表的作品であり、「地下宮殿」という別称が示すように、その豪奢なインテリアによって知られている。そこではレリーフや彫刻、壁画等の一見古典的なメディアでもって、資本主義国における地下鉄の看板広告の如く、社会主義社会における理想的生活のイメージが描き出された。これらの公共空間は、交通機関としての機能をこえて、人びとに彼らが何を欲するべきかを教え、彼らを同一の志向性を共有する集団へと変える、ディシプリンの場と考えられていたのである。

イデオロギー装置としての地下鉄空間を分析するにあたり、本報告で特に注目したいのが、自然のモチーフである。当時地下鉄建設は、機械的で没意味な自然を克服し、人間化された空間を切り開く行為と位置づけられていた。地下鉄駅の装飾に頻用された自然のモチーフには、したがって、意味の体系の中に取り込まれることで有機化された自然、「庭園」の主題を見て取ることができる。しかしそれだけにとどまらず、そこでは本来ならば自然を克服する手段であるはずの技術的要素もまた、「第二の自然」として、この自然の意匠によって被覆され、有機化されることが求められた。

本報告では上述のような観点から、モスクワ地下鉄建設をめぐる言説の中に、社会主義リアリズム文化下における自然と技術(機械)をめぐる象徴的意味の変容を読み解いていくことを試みる。

山口勝弘とフレデリック・キースラー——「空間から環境へ」展を中心に
瀧上華(東京大学)

1966年11月「空間から環境へ」という展覧会が銀座の松屋デパートで開催された。これは、芸術の分野で「環境」という言葉が盛んに使われる転機となった展覧会であった。そこで掲げられた「環境」の概念には、建築におけるメタボリズムや、「プライマリー・ストラクチャーズ」展、ハプニングといったさまざまな要素が詰め込まれていたが、その中には建築家フレデリック・キースラー(1890-1965)の名も見られる。キースラーは、舞台美術、展覧会の会場構成、また後には彫刻や絵画の制作など多岐にわたる活動を行い、それらの核として、人間と環境との間に生じる相互の関連性、力作用を意味する「コルリアリズム」という理論を掲げた。「空間から環境へ」展でキースラーの名が挙げられた理由としては、主催の「エンバイラメントの会」の一員であった山口勝弘(1928-)の意向が強くあったと思われる。山口は1961-62年の訪米でキースラーと会い、強く影響を受けた。1978年に彼が出版した『環境芸術家キースラー』は、膨大な資料をもとにキースラーの多岐に渡る仕事の全体像を網羅しており、山口の並々ならぬ熱意と関心の結晶物といえる。「空間から環境へ」展において山口が持ち出したキースラーの思想は、この展覧会以降沸き起こった「環境芸術」の流れの中で看過できない一つの重要な軸となっている。本発表では、「空間から環境へ」展を中心として山口がキースラーの「環境」をどのように捉えたのか、またそれが後の万博にまでつながる「環境芸術」に与えた影響を考察する。