トピックス 3

研究会「映画=表象の政治性」

1月28日、立命館大学において研究会「映画=表象の政治性」が開催された。これは、早稲田大学演劇映像学連携研究拠点「日本映画における〈国家〉の表象 と文化的〈公共性〉の構築に関する学際的研究グループ」(代表:山本佐恵)の研究発表会として企画され、グループ内外の7人の発表者による報告とディスカッションから構成された催しである。

二部構成の前半では、「日本映画の政治学」とのタイトルのもとグループに所属するメンバーから、戦時下における日本映画の受容や流通形態を綿密に調査、考察する発表が続いた(以下、数字は発表順)。戦時期の文化事業として写真雑誌や文化映画が日本のイメージ形成に用いられたイデオロギー的背景を明らかにする山本の報告(1)は、映画と国家の関係性がどのように形成されるかという点において、1939年の映画法の施行後の内務省による脚本懸賞制度に着目し、権力と国民の双方向的な関係性から「国民映画」という公共圏が形成されたことを指摘する溝渕の発表(4)、さらには第二部の土山の発表とも共鳴するものであった。その一方で、 満州開拓をユートピア的に描き出す日本人初の女性映画監督・坂根田鶴子の経歴や作品分析から、男性中心的な映画製作において「帝国のフェミニズム」とも指摘される政治性とジェンダーの捩じれた関係を指摘する池川の発表(2)は、米国における映画雑誌の詳細な分析から、特権的な「映画監督」という作家像が、日本映画界へ輸入されるなかで映画ファンのあいだで想像的に鍛造された経緯を明らかにする洞ヶ瀬の発表(3)と、映画作家という神話像の解体という意味において軌を一にしていた。

このように映画というイメージを再構築する前半の議論に対し、第二部「歴史・理論・表象」では、研究会メンバー外のゲストスピーカーも加えた3人から、欧米圏の初期映画や歴史叙述の問題を踏まえた映画外部からの考察が展開された。原爆をテーマとする映画に登場した写真を蒐集し、それら細部の断片を歴史叙述の問題として考察する土山の発表(5)に始まり、美術史家ヴァールブルクによるムネモシュネの読解から身振りやインデックス性を鍵概念として初期映画との関連性を指摘する岡本の発表(6)、最後には同時代のアメリカにて映画受容を心理学実験として検証したウィリアム・マーストンによる嘘発見機の実践を情動論として考察した篠木の発表(7)が続いた。一見、前半のメンバーが専門とする日本映画とは無関係に思えるこれら映画外部からの視点の導入によって、単純な映画史を超え出る歴史性や情動性のようなものが映画の政治性という問題を深化させていた。

以上の議論について司会の松谷や増田、聴衆とともに活発な質疑が交わされたものの、「映画=表象の政治性」を問い直すという研究会の最終的な問題設定について全体討議をおこなう余裕のなかったことが惜しまれる点である。それでも、この問題を練り直すにあたり、錯綜した言説や社会背景、歴史性を経た上で再度、映画メディウム/イメージの問題へと回帰しようとする研究会自体の軌道が、映像文化を取り巻く政治性についての新たな問題を指し示していたとも言えるだろう。

(報告者:増田展大)

シンポジウム「震災と映像」

2012年1月28日(土)に関西大学において、シンポジウム「震災と映像」が開かれた。このシンポジウムでは、東日本大震災とそれに伴う原発事故という未曾有の複合災害が、映像という表象メディアにも大きな課題を突きつけているという認識に基づき、様々なカタストロフと映像との関係を含めた歴史的なパースペクティブの中で検討された。

震災発生から一ケ月あまりという、極めて早い時期に被災地の状況をいち早く伝えたことで話題を呼んだ大宮浩一監督のドキュメンタリー映画『無常素描』(2011年)の上映に続き、映画研究者であり映画祭「Image.Fukushima」の実行委員長を務める三浦哲哉氏が、「福島と3.11のイメージ」と題した基調講演を行った。三浦氏は、「Image.Fukushima」での連続上映会の模様を伝えつつ、「映画に何が出来るのか」、「大参事が生じた際に、それでも映画にできることがあるならばそれはいったい何なのか」という、映画が福島に向き合う際の原理的な問題を提起し、福島のイメージを口当たりの良いメッセージで固定化することなく、過去の様々なカタストロフの映像を結び合わせ、かつ観客同士が討論し対話する場を生成させることで、福島を端緒として新たな歴史を再構成し、それを未来へと開示していくことの可能性について論じた。

次いで、福島中央テレビの村上雅信記者の講演「震災・原発報道と映像」では、とりわけ同局の定点カメラのみが撮影に成功した福島第一原子力発電所の水素爆発の瞬間の映像に焦点が当てられた。この映像が、一方で、速報性を重視し、ただちにローカル放送で流れたことで、住民を早急に避難させる契機となったこと、他方で、説明が十分に成されることなく全国に放送されることで、不必要なまでに絶望的なイメージとして広く流布していったことが映像を発信する側の立場から論じられた。その上で、この爆発の映像が、歴史的記録や科学的検証の材料としてのみならず、今後どのような意味作用を担い、どのように利用されていくのかを多面的に見定めていく必要性が強調された。

シンポジウムの後半部では、カタストロフとその映像表象に関する諸問題を歴史的なパースペクティブから検討すべく、まず、堀潤之氏が「カタストロフへのまなざし――収容所の表象をめぐって」と題した研究発表を行い、強制収容所の表象を巡って採られてきた三つの立場――映像の検証による事後的な開示(ハルン・ファロキ)、表象不可能性(クロード・ランズマン)、映像による悲劇の救済(ジャン=リュック・ゴダール)――が検討された。次いで、報告者である林田が「東松照明と原爆の表象」と題して発表を行った。従来の原爆写真論を批判的に検討したうえで、半世紀にわたって被爆地長崎の撮影を続けている写真家東松照明の活動をとりあげ、原爆に直接関係するモチーフに留まらない多岐にわたる写真群を、時間や空間に捕らわれることなく重層的に関連付けていくことで、それらが歴史的現在の喩として読解されることへと賭けていく彼のアプローチについて論じた。

もちろん、総合討議において、司会者である門林岳史氏が慎重に指摘していたように、東日本大震災と映像の問題に向かい合うに際して、強制収容所や原爆の問題へと安易に接続してしまうことは浅慮に過ぎるだろう。また、震災と映像の関係について腰を据えた冷静な議論を行うには、まだ経過した時間が短すぎるようにも思われる。とはいえ、カタストロフに映像がいかに向かい合ってきたのかについて改めて振り返り考察を行っていくことが、今後、震災の映像を検討しその行く末を見据えていくための視座を与えてくれることは間違いない。今回のシンポジウムを端緒として、時間をかけて議論を継続していく必要があるだろう。

(報告者:林田 新)