研究ノート 滝浪 佑紀

「動き」と「明るさ」の美学――小津安二郎の初期作品の地平と可能性
滝浪 佑紀

日本的映画監督としての小津安二郎、ハリウッドの古典的映画スタイルに対抗しうる独自のスタイルを有した映画作家としての小津安二郎、あるいは映画的感性に富んだ名手としての小津安二郎…。小津はこれまで様々に冠されながら、日本映画の巨匠としての名声を恣にしてきた。

しかしながら、小津の初期サイレント作品についてはとりわけ映画美学という観点から、これまで十分な研究がなされてこなかった。小津に対するハリウッド映画の影響はよく知られている。しかし、それは正確に言って何だったのか。小津は、日本的映画作家としてであれ、独自のスタイルを有した作家としてであれ、しばしばハリウッドに対比されて論じられてきた。とすれば、先の問いはますます興味深く思われてくる。小津は何をハリウッド映画から学び、いかにして彼独自の映画スタイルを発展させていったのか。

小津に対するハリウッド映画の影響のもっとも明示的な例として、彼の初期作品にしばしば登場する、大学生やモダン・ガールといった人物形象を挙げることができるだろう。しかし、小津に対するハリウッド映画の影響とはこうした物語主題の水準よりも深いところにあったのではないか。こうした観点から注目したいのが、「動き」と「明るさ」という二つのタームである。大衆モダン文化が花開いた、1920年代後半の日本の文脈においては、例えば、ハロルド・ロイドの大学生やクララ・ボウのモダン・ガールは、タップ・ダンスや踵を揺らす動作など、彼らの身振り上の「動き」によってこそ特徴付けられると考えられ、彼らの映画はこうした動きによってこそ、「明るい」と言祝がれたのだった〔図1-2〕。そして、『若き日』や『落第はしたけれど』といった彼の初期大学喜劇におけるロイドをまねた動き、『朗かに歩め』におけるモガ女優・伊達里子の足のクローズアップからもわかるように、小津はこうした1920年代のハリウッド映画を代表する類型的人物の「動き」の模倣を通じて、その「明るさ」を再現しようと試みたのだった〔図3-4〕。

ただし、ハリウッド映画の「動き」の模倣を通じての、その「明るさ」の再現という試みは小津に限ったことではない(例えば、同時期の蒲田調は、まさにこの「明るさ」という性質によって特徴づけられている)。それでは、この「動き」と「明るさ」に関して、小津の映画実践の特異性はどこにあるのか。この問いを考えるために導入したいのが、映画メディウムの動きそこに含意される不連続性という論点である。すなわち、(1)小津はロイドやボウの動きを、単なる被写体の動きとしてではなく、スクリーン上に展開される映画メディウムの動きとして捉えていたのではないか。さらに敷衍して言えば、1920年代後半の日本の観客にとって、ハリウッド映画が明るかったのは、スクリーン上に輝きとして広がる映画メディウムの動きゆえでなかったのか。(2)そして、このようにメディウムの水準で捉えられた映画の動きには、ある不連続性が含意されているのではないか。すなわち、基体としての映画メディウムが動いているとするならば、それは映画メディウムそのものの不安定性をも意味するのであり、高められた映画の動きは究極的には映画メディウムの崩壊としての不連続性に行き着いてしまうのである(リュミエール兄弟の『港に揺れる小舟』を見た最初の観客は、スクリーン上で波打つ海面がこぼれ落ちてしまうのではないかと訝ったというが、小津も『出来ごころ』において、海面の動きに同様のフェティッシュ的愛着を示している〔図5〕)。

ここでは、小津が以上二つの映画の「動き」をめぐる論点に気づいていたことを示唆する最初の例として、彼のエルンスト・ルビッチへの言及のひとつを見ておきたい。まず注目したいのは、ルビッチ監督作品『結婚哲学』のほぼ冒頭に見られる、次のような奇妙なアクションつなぎである。

①マリー・プレヴォーが椅子に掛けられた衣類を左から右へ投げる〔図6〕。
②衣類が右へとフレーム・アウトする瞬間にショットが切り替わり、フレーム外・左から飛んできた衣類がベッドの上に落ちる〔図7〕。
③いすとベッドの位置関係を示すロング・ショット〔図8〕。

一見、①と②は、投げられた衣類のフレーム・アウトとインのタイミングおよび方向性(左から右へ)において正確にアクションでつながれているかのように見える。しかし、③の遅れてきた位置関係提示ショットが、①で右へとフレーム・アウトした衣類は実はベッドとは反対方向、手前におかれたキャビネットの方へ飛んでいくはずであるということを暴く。

図6『結婚哲学』(左→右)

図7『結婚哲学』(左→右)

図8『結婚哲学』

小津はこの奇妙なアクションつなぎに気づいていた。1931年の『東京の合唱』には、次のようなアクションつなぎがある。

①岡田時彦がネクタイを結んでいると、背後から紙風船が飛んでくる〔図9〕。
②畳の上に落ちる紙風船。
③岡田は紙風船を拾いあげ、フレーム外・左へ放り返す〔図10〕。
④フレーム外・左から右へ飛んできた紙風船を子供がキャッチする〔図11〕。

まず、①における、窓に取り付けられた鏡を見ながらネクタイを結ぶという岡田時彦の身振りは、『結婚哲学』において窓に取り付けられた鏡を見てヒゲを剃るアドルフ・マンジューへの明確なオマージュとなっている。すなわち、小津はここで『結婚哲学』を明確に意識しているのである。そして小津は、③と④を投げられた紙風船の動きを介してつなぐ。ただし注意したいのは、③と④はフレーム・アウトとインのタイミングで正確につながれているが、ショット転換時、カメラはアクション軸を跨いで交替させられるため、運動の方向性(右から左へ、および左から右へ)がチグハグにされているという点である。

図9『東京の合唱』

図10『東京の合唱』(右→左)

図11『東京の合唱』(左→右)

以上二つの奇妙なアクションつなぎはどのように考えることができるだろうか。まず、『結婚哲学』のアクションつなぎに対する一般的解釈とは次のようなものだろう。すなわち、ルビッチはハリウッドの連続性のシステムと戯れることによって、映画的に構築された物語空間の虚構性を暴露している。しかし、ルビッチがきわめて注意深く扱っている投げられた衣類の運動という論点に注目して、「動き」の美学という観点から次のように考えることもできないだろうか。すなわち、ルビッチは投げられた衣類の動きを単なる被写体の動きとしてではなく、映画メディウムの動き(スクリーン上でパッと広がるアラベスク状の動き)として呈示している、さらには、偽のアクションつなぎから誘発される不連続性の感覚によって、映画の「動き」に含意される不安定性を知らせている。そして小津は『東京の合唱』のアクションつなぎにおいて、『結婚哲学』のアクションつなぎの含意に気づいたことを告知しているのではないか。たしかに、『結婚哲学』では物語世界の一貫性が乱されているのに対し、『東京の合唱』ではスクリーン・ディレクションが一致させられていないという違いがある。しかし、小津はアクション軸を侵犯することによって、ルビッチとは別の仕方で、映画の「動き」に含意される不連続性――ハリウッド映画の「動き」の美学から必然的に導かれる危機――を知らせているのではないか。

おそらく、この映画の「動き」に含意される不連続性の告知という決定的瞬間が、しばしば小津の最初の傑作と見なされる、1931年の『東京の合唱』で確認できることは偶然ではない。以降、小津は不連続性に穿たれた映画メディウムの動きをいかに扱うかという難題をめぐって、彼の尊敬するハリウッドの監督であるルビッチやジョセフ・フォン・スタンバーグの作品を参照しながら、自らの映画美学を探求していくのである。1932年の『生まれてはみたけれど』、1933年の『東京の女』や『出来ごころ』など、小津の特異な映画スタイルの発展にとって重要な作品は、以上のような脆く、注意深い扱いを要する映画の動きとの苦闘の軌跡であったと考えることができる。

ここでは以上のような小津作品の軌跡を辿ることはできないが、彼の映画実践の地平と可能性を、同時代の映画美学を参照することによって見定めておこう。実のところ、サイレント後期にあたる1920年代、「動き」という論点を中心とした映画美学は、グローバルな規模で――とりわけ同時代の前衛芸術と結びつけられつつヨーロッパにおいて――共有されていた。ここで重要なのは、多くの前衛映画論も映画の「動き」をメディウムの水準で捉えていたということである(例えば、被写体の動き、カメラの動き、編集という三つの動的要素に全体論的にアプローチをしたフランスのリズム論や、スクリーン上に「アトラクション」として展開される動きの観客に対する影響を理論化しようと試みたソヴィエトのモンタージュ論など)。すなわち、初期小津の映画実践とはこのようにグローバルな規模で共有されていた映画美学の中で考えられなければならないのである。しかし、ヨーロッパの前衛映画論と小津との間には重大な違いもある。すなわち、ヨーロッパの前衛映画論では、映画の「動き」はアトラクションとして観客への直接的作用を志向したのに対し、小津の映画実践では、映画の「動き」は何よりも「明るさ」という解放的契機に結び付けられていたのである。ポスト古典期の映画(およびメディア環境)がその視覚的アトラクションによって、観客を直接的支配下に置こうとしている今日、小津映画は「動き」の美学が自由を担保していたという意味において、ひとつの有力なオルタナティブを指示しているように思われる。

滝浪佑紀(東京大学)

図1『ロイドの人気者』

図2『それ』

図3『落第はしたけれど』

図4『朗かに歩め』

図5『出来ごころ』