第1回大会報告 パネル6

7月2日(日) 15:30-17:30 18号館4階コラボレーションルーム3

パネル6:エイティーズ・アート

シミュレーショニズム再考――ジェニー・ホルツァーを中心に/平野千枝子(山梨大学)
「沈黙」というフィクション――太田省吾の「80年代」/森山直人(京都造形芸術大学)
子供たちの時間――相米慎二と1980年代日本映画/御園生涼子(東京大学)

【司会】大久保 譲(埼玉大学)

大久保 譲氏の司会のもとで進められた本パネルは、80年代に作られた「ポストモダン」の言説を相対化しつつ、具体的な作品と社会的・言説的コンテクストの相互交渉の分析を通じて、80年代文化を再考するパネルである。

平野千枝子氏は、シミュレーショニズムを代表するジェニー・ホルツァーが、70年代のコンセプチュアル・アートとオルタナティヴ・スペースを引き継ぐところから出発しながら、電光掲示板にテキストを流す一連の作品において、ポスト工業化を迎えたニューヨークの都市空間の変容とどのような関係を切り結んだのか、さらには《悲歌》のようなモニュメンタルな作品で、いかに美術館という空間を70年代とは違った形で問い直しているかを丁寧に分析した。

森山直人氏は、商業主義的な小劇場ブームに代表されるいわゆる「80年代演劇」から最も遠い太田省吾をあえて取り上げ、80年代の諸問題を逆照射しようとする。より具体的には、森山氏は沈黙とスローテンポを基調とする『水の駅』に始まる太田の80年代に、「芸術の自律性」や「劇の不可能性」といった概念への複雑な距離感を見出し、さらに88年の転形劇場の解散に小劇場的な集団性に対する批判を読み取っている。

御園生涼子氏は、複合的なメディア戦略によって徹底的に商業化された80年代の日本映画において、通過儀礼のテーマを繰り返し取り上げ、商品として消費される寸前の「子供たち」の野蛮な生々しさを露呈させる点に相米作品の一貫した方法論を見出し、さらには相米を作家不在の時代における例外的な作家として顕揚し、彼の作品の持つ原初的エネルギーを歴史的な文脈から疎外して読解する80年代の作家主義的な映画批評言説の限界を指摘した。

フロアを交えた討議・質疑応答では、まず各発表で取り上げられた3人の人物が、それぞれの仕方で、70年代を引き継ぎ、80年代の状況と折衝しながら、変容を余儀なくされていったという共通点の指摘に始まり、個々の発表に対する個別の討議を経て、とりわけ、80年代的な商業主義に対する抵抗のあり方をめぐって、そのような図式そのものが有効であるかどうかも含めて、時間を延長して活発な意見交換がなされた。

堀 潤之(関西大学)

パネル概要

本パネルは、内外における1980年代文化への関心の高まりを念頭に置きつつ、美術、演劇、映画などの芸術作品を考察することを目標としている。80年代文化はもっぱら「ポストモダン」とともに語られてきた。その記号は、事態のある部分を確実に説明しえたのと同時に、作家のエージェンシーから政治的なプロジェクトにいたる、70年代から継承されてきた諸問題を見えにくくしてしまった。また今日、社会分析の具体例として作品や作家を取り上げる研究が増える中で、文化研究の地平が作品や作家から離れつつあることも否定しがたい事実である。本パネルは、社会的コンテクストや言説のネットワークとの関わりも見すえた上で、いま一度80年代の芸術作品に立ち返り、その多様な実践を検討し直すと同時に、作品を規定するというよりはむしろ作品が生み出したコンテクストやネットワークの新しい配置についても考察を進めていきたい。(パネル構成:大久保 譲・加治屋健司(スミソニアンアメリカ美術館)) 

「シミュレーショニズム再考――ジェニー・ホルツァーを中心に」
平野千枝子

1980年代の美術は、ニュー・ペインティングによる市場のブームと、「ポストモダン」の言説に支えられたシミュレーショニズム(アプロプリエーション)の2つの動向によって記憶されている。シミュレーショニズムを代表する芸術家のひとり、ジェニー・ホルツァーの作品をとりあげて再考する。

「「沈黙」というフィクション――太田省吾の「80年代」」
森山直人

太田省吾ほど「反-80年代的」な演劇作家はいない。だが『水の駅』等の多くの代表作は紛れもなく「80年代」に発表されている。この発表では、そうした「反時代的」作品の具体的分析を通して、この時代における「舞台」の「フィクション」としての成立条件の考察を試みる。

「子供たちの時間――相米慎二と1980年代日本映画」
御園生涼子

撮影所システムの崩壊が決定的となる一方、バブル経済の伸張と平行するように、60-70年代の日本映画を特徴づけた前衛的試みが失効していった1980年代において、作家性の実現と商品としての映画との狭間で両義的な作品を作り続けた相米慎二の作品を分析する。