表象文化論学会表象文化論学会

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表象文化論学会 第一回大会

東京大学駒場キャンパス(京王井の頭線 駒場東大前駅 下車)
参加費:会員 無料/非会員 1日ごとに1000円、事前登録不要
*満席の場合には立ち見あるいは会場に入れない場合もあることをあらかじめご了承ください。


7月2日(日) 9:30-11:30 18号館4階コラボレーションルーム1

パネル1:日本芸能史における〈女性的なもの〉

日本芸能史は、ある意味で女性の排除の歴史である。明治における女優の誕生が軋轢を伴ったこと自体に、公的な視線の場に〈女〉の身体をさらすことを避忌する「伝統芸能」の性格が現れているとも言えよう。にもかかわらず、日本の有力な芸能ジャンルのいくつかが、女性(的なもの)を起源とし、あるいはそれを媒介として形成されたことを、私たちはどう理解すべきなのだろうか。中世的な歌や舞は、遊女と総称される女性芸能者を抜きにしては成立しえなかった。能楽は男性の芸能として制度化されつつも、女装の稚児や女性芸能者の歌舞を自らの根底に抱えている。歌舞伎が出雲の阿国に起源するとされていることは、言うまでもないだろう。本パネルでは、このように起源として〈女性的なもの〉を抱えながら、それをのちに排除することを繰り返してきた日本芸能の歩みの検討を通じて、日本文化史のなかで作用する重要な「性の政治」の一局面を浮かび上がらせ、その意味について考察する。(パネル構成:横山太郎)

【司会】横山太郎(跡見学園女子大学)

遊女をめぐって――古代・中世を中心に/沖本幸子(日本学術振興会特別研究員)
男性芸能集団「猿楽」における女性性――稚児および天皇をめぐって/松岡心平(東京大学)
出雲の阿国をめぐって/小笠原恭子(武蔵大学名誉教授)



7月2日(日) 9:30-11:30 18号館4階コラボレーションルーム2

パネル2:Medium and Anamorphoses

A work of art comes into being from within the milieu where a variety of expressive mediums encounter one another-here we stay away from the term "media" that might refer to some sociological entity. In other words, all cultural practices are nothing other than the meetings and collisions of forces emanating from within mediums. With this in mind, a reading act that would bring to the fore the traces of such dynamically interacting forces will aptly be called an anamorphic one.
Our panel seeks such ana-morphe analyses, by which we mean the kind of analyses that would re-process and re-act the coming-into-being of a work of art back to where its "form" and "content" was still in the state of forming out of, as well as being formed by, forces in mediums. Each panelist will problematize what we feel has been "achieved" in a work of art, through looking carefully into the interfaces where voices, letters, visuals, bodies and more are intercrossing, affecting and transforming each other. (organized by Keisuke Kitano and Takahiro Nakajima (The University of Tokyo))

【コメンテイター】ミハイル・ヤンポリスキー(ニューヨーク大学)
【司会】佐藤良明(東京大学)

What Makes the Faciality in Japanese Cinema Stand Out(日本映画における顔の位置)/北野圭介(立命館大学)
A Self-Portrait of Patti Smith(パティ・スミスの自画像)/當間麗(埼玉大学)
Illustration, Daguerreotype, Film: Discourses on the Visuality of N. Gogol‘s
Language(挿絵、銀板写真、映画――N・ゴーゴリの言語の視覚性をめぐる諸言説)/乗松亨平(日本学術振興会特別研究員)

※英語によるセッション



7月2日(日) 9:30-11:30 18号館4階コラボレーションルーム3

パネル3:鏡の背面――表象のヒューマニズム再考

表象の理論には暗黙のヒューマニズムが存在しているのだろうか? 例えばハイデガーにおいては、表象を条件づける主体化の契機は、主体=基体である存在を常に要請しているように見える。そこにおいて問題となるのは、表象の条件としての人間の条件に他ならない。結局のところ、表象システムの分析は常にそれを構成する主体と関わらざるを得ず、それに対する批判も多くの場合、主体と他なるものとの弁証法的関係の記述や、あるいはそれらを「深層から」規定してきたとされる歴史的次元に拘泥することを余儀なくされる。 本パネルでは、時代ごとに異なる題材を通じて、表象と主体によって織りなされたある種の共犯関係を批判するための原理的考察を試みる。主体の眼差しが鏡面における鏡像を成立させている、と仮定してみよう。鏡の背後を思考することは、眼差す主体の中心性を相対化する。そこにおいては、表象のシステム自体が、非-人間的な現れとして定義されるかもしれない。(パネル構成:大橋完太郎)

【司会】岡田温司(京都大学)

自己展開するイメージ/柳澤田実(南山大学)
世界の体系――『百科全書』と普遍知の唯物論/大橋完太郎(東京大学)
コギトと表象不可能なもの/佐藤吉幸(筑波大学)



7月2日(日) 13:00-15:00 / 15:30-17:30 18号館4階コラボレーションルーム1

パネル4:スクリーンの近代――遮蔽と投射のあいだで(1)(2)

スクリーン、それは向こう側の世界から主体を遮るとともに、逆に主体の背後の世界を映し出す支持体としても機能する存在物である。そのように遮蔽と投射という二重の規定を被っているスクリーンという形象は、その本性上、概念=装置として存在を露にした瞬間に、数々の表象の背景へと引き下がってしまうだろう。スクリーンの消滅とともにもたらされるのは、現実と表象の間、イメージと知覚の間の、乖離とはいえないほどのズレやブレ、それらの同一性への抵抗である。例えば夢の形象を映し出すスクリーン、シュポール/シュルファスとは一歩ずれたところで絵画表象を成り立たせているスクリーン、あるいは、ナラトロジーで汲み尽くし得ない語りの支持体としてのスクリーン。そして、もちろん映画のスクリーン。スクリーンは、様々な具体的な事例に則して近代の経験に姿を現し、同時に消え去ることで、近代における知覚のあり方を根源的に条件づけているのではないだろうか。本パネルはこうした問いに導かれながら、領域横断的な発表と討議により、近代の条件としてのスクリーンについて再考する試みである。(パネル構成:小林康夫・根本美作子(明治大学)・門林岳史(日本学術振興会特別研究員))

【コメンテーター】高山宏(首都大学東京)
【司会】小林康夫(東京大学)

(1)前半 13:00-15:00
スクリーンとしての主観性――表象の可能性の条件としての身体/加國尚志(立命館大学)
イメージか、スクリーンか――ジャック・ラカンにおける鏡・表面・枠/原和之(東京大学)
映画スクリーンと観客の身体/長谷正人(早稲田大学)

(2)後半 15:30-17:30
メディアアートとスクリーン/草原真知子(早稲田大学)
「見ること」の不安と白い壁――モダニズム再考へ向けて/鈴木貴宇(東京大学)
+ 総合討議



7月2日(日) 13:00-15:00 18号館4階コラボレーションルーム3

パネル5:ロシアの(逆)遠近法

ロシアからの声は、表象をめぐる思考に新たな光を当てることができるだろうか。ロシアの表象文化論は、西欧の外部=無意識として安易に消費されるロシア像を批判することから始まらなければならない。そのうえで、なおも残る「ロシア的なもの」の特異性とはなにか。イメージの物質性・身体性をけっして手放すことなく、西洋的な表象/上演の舞台を出現/生産の現場へと変えてしまったロシアの芸術家・思想家たちを再検討する。(パネル構成:番場俊)

【司会】番場俊(新潟大学)

イコンと視覚像――パーヴェル・フロレンスキイのイメージ論/貝澤哉(早稲田大学)
時の抜け道――ツェラーンからマンデリシタームへ/斉藤毅(電気通信大学)
機械的なものと有機的なものをめぐって――1920年代ソ連における美術教育の試み/江村公(大阪大谷大学)



7月2日(日) 15:30-17:30 18号館4階コラボレーションルーム3

パネル6:エイティーズ・アート

本パネルは、内外における1980年代文化への関心の高まりを念頭に置きつつ、美術、演劇、映画などの芸術作品を考察することを目標としている。80年代文化はもっぱら「ポストモダン」とともに語られてきた。その記号は、事態のある部分を確実に説明しえたのと同時に、作家のエージェンシーから政治的なプロジェクトにいたる、70年代から継承されてきた諸問題を見えにくくしてしまった。また今日、社会分析の具体例として作品や作家を取り上げる研究が増える一方、作品や作家自体の持つ強度が十分に検討されていないのも否定しがたい事実である。本パネルは、社会的コンテクストや言説のネットワークとの関わりも見すえた上で、いま一度80年代の芸術作品に立ち返り、その多様な実践を検討し直すと同時に、作品を規定するというよりはむしろ作品が生み出したコンテクストやネットワークの新しい配置についても考察を進めていきたい。(パネル構成:大久保譲・加治屋健司(スミソニアンアメリカ美術館))

【司会】大久保譲(埼玉大学)

シミュレーショニズム再考――ジェニー・ホルツァーを中心に/平野千枝子(山梨大学)
「沈黙」というフィクション――太田省吾の「80年代」/森山直人(京都造形芸術大学)
子供たちの時間――相米慎二と1980年代日本映画/御園生涼子(東京大学)