7月6日(日)14:00-16:00
駒場キャンパス18号館4Fコラボレーションルーム3

・電子の時代のピュグマリオン――ポストヒューマン技術のジェンダー化をめぐる文化的想像力/小澤京子(首都大学東京)
・人工知能にジェンダーは必要か――ソーシャルロボットとしてのAIと被行為者性の観点から/西條玲奈
・挑発的なサイボーグであるために――「もはや誰も人間ではない」世界に生きるためのポリティクス/飯田麻結(東京大学)
【コメンテーター】大橋完太郎(神戸女学院大学)
【司会】北村紗衣(武蔵大学)


パネル概要

人工知能がどのような姿をとってこの世に現れるかという問いは科学・芸術双方において想像力をかき立て続けてきた主題であり、とくにポストヒューマン的SFが流行するようになっている現在、人工知能は宇宙にかわる最新の想像力のフロンティアといってよいであろう。こうした人工知能の発展を考える場合、そのインタフェースにどのような性別・性役割をまとわせるのかというジェンダー表象の問題が不可避である。ジェンダー化された人工知能はヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』(1886)にまで遡る古典的なSFの主題であり、ごく最近でも人工知能学会誌『人工知能』第29巻1号のガイノイドを用いた表紙が性差別的だとして批判され、スパイク・ジョーンズ監督が女性の声を持つ人工知能に恋する男を描いた映画『her/世界でひとつの彼女』(2013)が話題を呼ぶなど、人々の関心を惹きつけ続けてきた。本パネルは、人造の知性が想像・創造される際にどのような性別や性的特徴を賦与され、またいかなる性的役割を担うものとして表現されるのかということを主題とする。人間の複製に表れるピュグマリオン的願望の変容を扱う小澤の発表、実際に使用されている人工知能インタフェースのジェンダー表象を扱う西條の発表、ダナ・ハラウェイのサイボーグの概念に立脚して科学論的分析を行う飯田の発表を組み合わせ、芸術・倫理・科学技術といった多角的な視点から人工知能のジェンダー表象を考えていくこととしたい。

電子の時代のピュグマリオン――ポストヒューマン技術のジェンダー化をめぐる文化的想像力/小澤京子(首都大学東京)

先日巷間の議論を呼び起こした『人工知能』表紙絵の問題は、「人造の理想的女性身体」というファンタスム(所謂ピュグマリオニズム)の系譜と、人間の機能を複製・拡張・強化するテクノロジーのひとつ「人工知能」のあり方との交差地点に位置づけられるだろう。ここには、「擬人化(anthropomorphism)」すなわち無機物に「身体」ないしは「身体性」を付与し、さらにはそこに特定のジェンダーを付与してしまう想像力のあり方、機械ないしテクノロジーの持つ「他者性」の問題などが内包されている。本発表ではこのような問題意識に基づき、文化的・社会的な現象の中からいくつかの特徴的な作品ないし表現(文学、映画・映像、アニメーションなど)を選び出し、そこでの「身体性付与」と「ジェンダー化」のなされ方を分析する。
他方で、ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』や近年のペルニオーラ『無機的なもののセックス・アピール』が説くように、無機物や人工身体は、従来的なセクシュアリティやジェンダーの差異・二項対立を無効化する可能性も孕んでいる。人工知能は、engendermentと無性化という二つのヴェクトルが拮抗し合う場でもあるのだ。
人間の機能の人工的複製物に対して「ジェンダー化された身体」が構築される際の欲望の態様を炙り出し、身体と性をめぐる文化的装置について考察することが、本発表の最終的な目的である。


人工知能にジェンダーは必要か――ソーシャルロボットとしてのAIと被行為者性の観点から/西條玲奈

ユーザーの音声を認識してその指示に従うアシスタントソフトウェアのSiri、送られてきたメールの重要度を識別し分類するGmailなど、人工知能の技術はわれわれの生活にすでに浸透しつつある。これらは1930年代に登場したチューリングマシンに代表される、人間の推論・計算能力を模したものとは異なる知性のあり方を示唆する。人工知能の中でも、個人的で感情的な結びつきを人に引き起こすものを、ここではBreazeal(2002)にならい「ソーシャルロボット」と呼ぶ。本発表の目的は、ソーシャルな人工知能の事例を通じて、人とコンピュータのあいだのインタフェースに、ジェンダーの要素がいかに付与されるかを検討し、またジェンダー的特徴をどのように扱うべきか考察することだ。そのために、人工知能とはどのようなもので、人工知能のジェンダー的特徴がひとにあたえる影響を確認する。このとき重要なのは、Gunkel(2012)のようなマシン倫理学の仕事で指摘されるように、人工知能が実際に男性・女性としてふるまう行為者かどうかということ以上に、人がそれらの要素を読み込み、話しかける、配慮するといった行為の対象(被行為者)とみなす傾向をもつことである。この点を踏まえ、親しみやすさのような、人工知能にジェンダーを付与する動機と、それに対するジェンダーバイアスの強化といったリスクに基づく批判を検討する。そして問題解決の一助として、ジェンダー中立的なデザインの採用を提案する。


挑発的なサイボーグであるために――「もはや誰も人間ではない」世界に生きるためのポリティクス/飯田麻結(東京大学)

本発表は、ダナ・ハラウェイの提示したサイボーグ概念について、フェミニストの政治的戦略を描き出す形象/比喩的表現(figure/figuration)としての側面に焦点を当てた上で、人工知能のジェンダー化に関する議論を同時代的な科学技術論と照らし合わせ、どこまでも流動的であるような機械/生体、文化/自然といったカテゴリー間の境界を問い直すことによって生じるポリティクスの提示を目的とする。
人工知能にジェンダーが付与されるときに生じる論点は「理想化された人間性」を科学技術が担保する一方で、「明白に人間である(distinctly human)」身体が存在しえない(Blackman, 2012)、或いは有機的身体が遺伝子というコードによって解読可能な客体/対象として捉えられるという理論的混沌を反映していると考えられる。本発表では、人間と非-人間(nonhuman)の境界の流動性をめぐる近年のフェミニズムにおける議論を参照し、ポストヒューマン概念の(再)称揚に関する批判的考察を行う。さらに、以上の文脈からしばしば零れ落ちてしまう政治的側面を、ジェンダーと科学技術を論じる際に頻繁に引用されるハラウェイのサイボーグ論を再考することによって検討する。またその背景として、人間の身体もまた常に既にテクノロジーによって媒介されているという視点に立ち、「影響する/影響される(to affect/to be affected)」潜在性に基づいた「開かれた身体」に着目する情動理論や、AI及びALを扱った議論に顕著に見られる「ポスト生物学的」な生命の可能性について言及する。