6月30日(日)14:00-16:00
第1学舎3号館:C303教室

・ポートレートによる国家の歴史:ナショナル・ポートレート・ギャラリーの諸問題/横山佐紀(国立西洋美術館)
・展示と保存と戦争の技術的連関:第一次大戦下のアメリカ自然史博物館を例として/丸山雄生(一橋大学)
・創造論は科学か?:米国Creation Museumにおける展示の政治学と「戦術的博物館」言説/小森真樹(東京大学)
【コメンテーター】江崎聡子(青山学院女子短期大学)
【司会】小林剛(関西大学)


パネル概要

「われわれは現在、まさに『ミュージアム的世界』(museological world)の中で生きている。この世界はそれ自体、この二世紀にわたるミュージアム的考察の産物であり、結果である。ミュージアムとは、われわれの近代性が長年にわたって産出され、育成され、維持されてきた中心的な『場』のひとつである」(伊藤博明訳)と美術史家ドナルド・プレツィオージは述べているが、この言葉は特にアメリカ合衆国という近代とともに誕生した国家においてリアリティを持つ。ヨーロッパの視線によって「新世界」として発見されたアメリカが、その始まりから表象/展示制度と不可分な形で発展してきたことは言うまでもないだろう。この新世界はどのような人間によってどのような歴史を持った国家として構築されてきたのか? 新たな国民に対して国家が啓蒙すべき知識はどのように編成され、どのように伝えられてきたのか? いかにして宗教的世界観がこの近代性の権化のように見える国家においていまだに生き続けているのか? 本パネルではこうした問いに答えるべく、ナショナル・ポートレート・ギャラリー、アメリカ自然史博物館、創造博物館という三つのまったく異なるミュージアムの分析を通して、国家の中枢で表象/展示制度が果たしてきた役割を考察する。議論においては「ニュー・ミュージオロジー」や「ポスト・ミュージアム」といった近年盛んに論じられているテーマについても積極的に展開していきたいと考えている。(パネル構成:小林剛)

ポートレートによる国家の歴史:ナショナル・ポートレート・ギャラリーの諸問題/横山佐紀(国立西洋美術館)

私たちがミュージアムにおいて「知るべきもの」として得る歴史についての知は、いかなる政治的手続を経て構築され伝達されるのだろうか? 「アメリカの歴史、発展に貢献した人々のポートレートを収集、展示するミュージアム」として、1968年にワシントンDCに開館したナショナル・ポートレート・ギャラリー(NPG)とは、「いかなる人物に歴史的価値を認めるのか」というきわめて政治的な問いの上に成立する歴史ミュージアムであり(「美術館」ではない)、「誰をアメリカ(人)と認めるのか」というナショナル・アイデンティティの構築/表現と緊密に結びついた空間である。NPGという形態のミュージアムの起源は、1856年に開館したNPGロンドンに求められる。ワシントンで設立準備が進められた冷戦下の1950年代、一方でロンドンをモデルにしつつ、他方で反共産主義的な社会的文脈の中で「自由と民主主義のアメリカ(の歴史)」の独自性をいかに表現するかは、NPGにとってきわめて重要な問題であった。本発表では、人物の「歴史的重要性」がアメリカのNPGにおいてどのような手続を通じて判断されているのか、そのようにして選別された人物たちのポートレートから構成される国家の歴史が、その時々に必要とされるアメリカのナショナル・アイデンティティといかに密接な関係を結んでいるのかを、具体的なコレクションを取り上げながら検討したい。


展示と保存と戦争の技術的連関:第一次大戦下のアメリカ自然史博物館を例として/丸山雄生(一橋大学)

20世紀の総力戦では全国民、全産業が戦争に奉仕する総動員体制が作られたが、博物館もまた例外ではない。本報告では、第一次世界大戦下のアメリカ自然史博物館を例に、博物館がどのように戦時体制に協力したか、とくに展示のための技術がいかに戦争に転用されたかを考える。分析の中心となるのは、アメリカ自然史博物館で現在も公開されているアフリカン・ホールを作ったカール・エイクリーという剥製技師で、彼がアフリカの失われつつある自然を保存するために開発した技術は、軍事目的にも貢献することになった。たとえば剥製の土台を作るためのコンクリート・ポンプはトーチカや船の生産に用いられ、フィールドで使えるように改良された映画カメラや三脚は、耐久性や高可動性を評価され、サーチライトや索敵技術に生かされた。また博物館は、製作技術を提供しただけでなく、食品保存や自家栽培など市民が銃後で戦争に協力する方法を広め、公衆衛生の改善やアメリカの理念と戦争の大義を教える啓蒙的な展示に務めた。こうした例を通して、本報告では、20世紀初頭の博物館とアメリカ社会の関係を分析し、戦争を経て進展した移民のアメリカナイゼーション、国民統合、さらには20世紀後半の「アメリカの世紀」を準備することになる知の再編成において、博物館とその展示のための視覚技術が果たした役割を明らかにする。


創造論は科学か?:米国Creation Museumにおける展示の政治学と「戦術的博物館」言説/小森真樹(東京大学)

近年のミュージアム研究では、政治的な目的を持ち、目的達成のために利用される博物館を比喩的に「戦術的な博物館(tactical museum)」と呼び、その潜勢力を好意的に評価してきた。本研究ではこの理論を批判的に検討してみたい。
報告では、1980年代以降アメリカ合衆国に普及した「創造博物館」——天地創造の物語が科学的な根拠のある史実だとする、創造科学教育の博物館——から、博物館の持つ政治的な行使力が現代アメリカの科学観に果す役割を考察する。なかでもケンタッキー州のCreation Museum(2007-)を事例に、創造博物館が、複製品によって科学的証拠を提示して自分たちこそが正当な科学博物館だと主張していることを示す。近年の科学博物館に見られる、真正なる展示物を拝みに行く「神殿」型から娯楽・体験型教育の「サイエンス・センター」型へという変化は、真正な物がなくとも「科学博物館」が成立してしまう状況を生んでいる。創造論者はその状況を利用して「科学博物館」を定義する。
博物館の政治的な利用によって創造論を普及・正当化するCreation Museumの成功は、「戦術」とは決して建設的な側面だけでなく、不合理な文化戦争を伴うこともあると示唆している。本事例は、「科学」とは何かというアイデンティティ・ポリティクスを通じ、科学およびミュージアムの概念を再考する契機となるのではないだろうか。