日時:2007年7月1日(日) 13:00 - 15:00
会場:東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2

・様式を通じた世界との接続―伊東忠太による「日本建築史」/天内大樹(東京大学)
・近代日本の「美術」と「文化」をめぐる諸制度―矢代幸雄による美術史記述と文化国家論/小澤京子(東京大学)
・天・地・人をつなぐもの―世阿弥「一調・二機・三声」をめぐって/玉村恭(東京大学)

【コメンテイター】横山太郎(跡見学園女子大学)
【司会】柿並良佑(東京大学)


ある文化現象の生起に主導的役割を果たすのは、自律自閉した思考主体による創意や地政学的コンテクストのみではない。とりわけ芸術と名指される分野では、むしろ「他者」との邂逅や対話関係によって、その歩みが形成されてきた。その過程は、ややもすれば単純な影響関係としてのみ語られる傾向にある。その一方で、「日本的なるもの」という自律的かつ自足的な存在を措定し、そこに何らかの思弁や言説・作品を派生させるような「本質」を見出す思潮も、いまだ根強く残存している。かような趨勢からは批判的距離を保ちつつ、それでもなお「日本(的なるもの)とはなにか?」と問い続けるならば、過去の断片化された痕跡や遺された言葉の探査という、特異的かつ発散的な「出来事」に対する繊細かつ愚直な試みが要請されることとなるだろう。

我々の言う「日本思想」とは、広義かつ仮設的なカテゴリーである。それは何らかの本質の謂いではなく、むしろ「他なるもの」との邂逅、格闘と受容、他方の曲解や誤解、忘却といった一連の流れに付された、いわば通り名のようなものだ。本パネルではかかるアプローチを取ることで、従来の日本思想史研究や受容研究、比較文化研究等とは異なった視点を提示したい。積極的・統一的な収斂点は前提とせず、各発表によって結果的に形成されるかもしれぬ多焦点的な状況布置を、来聴者との議論も交えながら浮かび上がらせることを期待している。

【本パネルは、「受容としての「日本思想」〔思想篇〕」と連携しており、2パネル1組として構想されたものです。】(パネル構成:小澤京子)

様式を通じた世界との接続―伊東忠太による「日本建築史」/天内大樹(東京大学)

本発表では、まず日本建築史学の泰斗と目されてきた伊東忠太における「様式」概念を,彼の代表的な論考である「建築進化論」から抽出する。「建築進化論」で「進化」するとされた「建築様式」は、歴史学者の視線で西洋由来の建築史学的視座から整理されている。この議論の背景には、とくに日本の「建築様式」が西洋の影響を受けて以降いかに変化していくのか、変化すべきかといった建築界の議論があるが、伊東は日本の「建築様式」をギリシア由来の西洋建築史と対応関係を失わない形で説明しようとしていた。そこでは諸様式間の価値判断は脱落しており、歴史学的・地理学的に等し並みに配置された各様式のマッピングがなされ、それが日本の「建築史」を世界的な建築史と接続する理論装置と化していた。こうした「日本建築史学」成立にあたっては、すでに日本美術史学の先駆けの一人とみなされてきた岡倉天心の影響が指摘されてきた。岡倉においても日本における美術史学の成立にあたって、西洋由来の世界美術史が援用されているが、ギリシアに代表される古典古代への態度に関しては、伊東のそれと微妙にずれており、岡倉は東洋美術の隆盛を「東洋的ロマン主義」の高揚をもって説明した。これについては「象徴的」「古典的」「ロマン的」というヘーゲル的な歴史把握の影響も指摘されてきたが、ではそうした影響がなぜ伊東に伝播しなかったのか、本発表はこの問いへの説明を試みる。


近代日本の「美術」と「文化」をめぐる諸制度―矢代幸雄による美術史記述と文化国家論/小澤京子(東京大学)

本発表では、日本における西洋美術史研究の祖であり、日本美術の紹介や文化財制度の整備にも尽力した人物、矢代幸雄(1890-1975)を扱う。欧州での研究成果を纏めたボッティチェッリ論(1925)は、日本人による初めての本格的な西洋美術史研究であった。帰国後の彼は、日本美術の地位向上に尽力するようになる。それは個人の趣味判断としての「日本回帰」ではなく、西洋的教養を身につけたエリートの、自らに課された社会的役割期待に対する応答であった。英米の大学でも教鞭を取り、数々の美術館で役職を務め上げた経歴は、国際的視野をもった日本の文化人という立場を彼に要請した。かかる状況の中で矢代が唱えたのが、文化によって国力や国際的地位の向上を図ろうとする「文化国家論」である。彼の論調は、戦前から戦後まで一貫して中立的な外観を保っているが、自国文化をナショナル・アイデンティティーの根拠に据えようとする巧妙な政治性を潜ませてもいる。

ここでは1)美術史研究の西洋からの継受と自律的・内在的な確立、2)西洋文化に比肩しつつ独特の価値を有するものとしての日本美術観、3)戦後日本の「文化人」に課された役割期待と「文化国家論」、という三点が分析の対象となる。それは日本近代に特有の問題系を炙り出すとともに、今なお「西洋美術史」や「文化財」を囲繞する、様々なレベルの「制度」に対する問題提起ともなるであろう。


天・地・人をつなぐもの―世阿弥「一調・二機・三声」をめぐって/玉村恭(東京大学)

世阿弥の有名な言葉に、「一調・二機・三声」というものがある。彼の能楽論には中国思想や仏教哲学など先行思想の流用が多く見られるが、「一調・二機・三声」の中核に位置する「機」の概念もまた、仏教的な「機」および中国思想で伝えられてきた「気」の哲学の換骨奪胎によって着想されたものである。だが問題は、彼がそれを単なる流用にとどまらせず、いかにして独自の地点に到り着いたかを見極めることである。

「一調・二機・三声」は、演能の開始、とりわけ最初の一声を発することの要諦について論じたものである。「機」とは「気」であり、息に主体的意志が加わったもの、とこれまで解されてきたが、世阿弥の「機」には、演者の主体性に還元されない広がりが蔵されている。それは人が人である限り持ち得る心のある様態であり、従って心を有するあらゆるもの、すなわち天下万物が相互に「感応」するための手がかりとなるものである。万物は「機」によって通じ合っているばかりではなく、「機」の様態によって常に互いの位置を確かめ測り合っている。世界は、そのように「機」によって編み上げられたものとして理解することが可能である。能を演ずるとは、演者が「調子」を「機」に合わせ、「当気和合」を実現することによって、「機」ないし「気」の小宇宙としての世界の形成に参与することに他ならない。