日時:10:00 - 12:00
場所:武蔵大学江古田キャンパス8号館5階8501教室

  • 19世紀英国の女優が抱えた「女性らしさ」との葛藤──エレン・テリーのオフィーリア理解をもとに
    風間彩香(新潟大学)
  • 女性+機械の身体表象分析──戦間期ドイツにおける芸術作品から
    三枝桂子(筑波大学)
  • 民族的他者と女性──『満洲グラフ』における植民地表象の様式
    半田ゆり(東京大学)

【司会】小澤京子(和洋女子大学)

19世紀英国の女優が抱えた「女性らしさ」との葛藤──エレン・テリーのオフィーリア理解をもとに
風間彩香(新潟大学)

19世紀英国を代表する女優エレン・テリーは、1878年にシェイクスピアの戯曲『ハムレット』のヒロイン、オフィーリアを演じ、以降大女優として社会に認められる。本発表では、テリーが舞台上で演じたオフィーリアと、晩年の講演での記述の二つの側面から彼女のオフィーリア理解を探る。

先行研究では、オフィーリアは長髪で白い衣装で演じられるべきという、男性の視点に根ざした伝統に挑戦した最初の女優としてテリーをとらえるのみである。本発表ではまず、オフィーリアを演じた歴代の女優の図像や19世紀の女性向けファッション雑誌を参照し、テリーが当時の女性の服装で演じることで、19世紀という文脈の中での普通の娘としてオフィーリアをとらえたことを明らかにする。加えて、テリー自身の劇脚本への書き込みや劇評から、テリーの表出したオフィーリア像と、その受容を探る。

またテリーは1911年の講演で、独自の強さをもつシェイクスピア劇のヒロインを賞賛する一方で、オフィーリアの弱さを徹底的に強調することから、先行研究ではオフィーリアを演じた女優としての社会的イメージを彼女は嫌悪していたと簡単に断定する。しかしこの講演は、テリーの女優参政権同盟(Actresses’ Franchise League, 以降AFL)との関わりの中で考える必要がある。AFLとは1908年結成の女性参政権組織で、演劇の演出・上演を通して女性参政権に対する理解を広く得るため、教化と同時に娯楽性も重視し、ラディカルな女性表象と社会的に受け入れられやすい女性表象をバランスよく提示した。劇脚本からの台詞も多く含まれたテリーの講演は、講義でありながら一人舞台でもあった点で、教化と娯楽性をあわせもつAFLの演劇と通底するものがあった。そしてオフィーリアは、女性的弱さが否定されるべき存在でありながら、大衆の注意関心をひく上で利用すべき存在であった。自身の論を主張するためにフェミニストとして糾弾すべきオフィーリアの力を借りざるを得なかった女優テリーの葛藤に光を当てたい。


女性+機械の身体表象分析──戦間期ドイツにおける芸術作品から
三枝桂子(筑波大学)

第一次世界大戦後のドイツの芸術作品には、人間の身体を機械や人形などの無機物のイメージを利用して描写されているものが数多くある。人間の身体が生命力みなぎる生き生きとしたものではなく、むしろ生きているのかどうかも曖昧な、虚無を感じさせる存在として表象する趣向がこの時代に爆発的に現れた。本発表はその中でも女性と機械が組み合わされた身体表象に注目し、このようなイメージが現れた背景に潜む、ドイツにおける身体理解の問題について分析を行う。E.T.A. ホフマンの小説『砂男』(1817)における自動人形オリンピアや、フリッツ・ラング監督の映画『メトロポリス』(1927)における機械人間マリアなど、物語の中に登場する機械の女性は男性を誘惑し破滅へと導く存在として登場する。生身の男性と機械、もしくは人工的な女性との関係について、ミシェル・カルージュは『独身者の機械』において「生殖とは無縁の不毛なエロティシズム」と評した。カルージュはデュシャンの《大ガラス》(1915-23)やカフカの『流刑地にて』(1919)との関連から出発し、「独身者の機械」というキーワードに関わる文学群を取り上げて分析を行ったが、何故彼ら独身者が不毛なエロティシズムを求めたのかについては言及されない。本発表では大戦を経験したドイツの男性たちが陥った身体の問題を通して、彼らが求めた新しい女性像と機械の表象が「独身者の機械」として、当時の芸術作品に現れる過程を明らかにする。マックス・エルンスト、ルドルフ・シュリヒター、フリッツ・ラング、ハンス・ベルメールらの作品を分析の対象とする。


民族的他者と女性──『満洲グラフ』における植民地表象の様式
半田ゆり(東京大学)

写真家の淵上白陽が編集長を務めた『満洲グラフ』は、日本の事実上の植民地であった「満州国」についてのグラフ雑誌である。中国東北部に対する日本の侵略を正当化するプロパガンダであった同誌には、刊行時期を通じ、満州に暮らす様々な民族の姿が掲載された。国策会社であった南満州鉄道株式会社が発行し、主に内地で流通した同誌は、15年戦争期の日本の植民地表象の一例といえる。

本発表は、そこでの民族的他者と女性の表現に一貫する論理に着目し、『満洲グラフ』を植民地表象の観点から考察する。同誌の中で民族的他者はその土着性を繰り返し強調される。一方日本人女性は、他の民族の女性に対して優位に置かれつつ、都市部で職業選択の自由を謳歌することで生活に「華」を添える近代的な女性と、農村部で原始的な生活形態を保持し、良き妻・母として家庭内再生産を担う前近代的な女性の二極に表現のレベルにおいて引き裂かれている。両者の比較検討によって、日本人男性を頂点に置く、民族とジェンダーが絡み合ったヒエラルキーが明らかになる。本発表は植民地における他者の「女性化」の議論の蓄積をふまえ、表象における上記の問題を、植民地表象一般の性質と紐づけて分析する。 

本発表は以下のように議論を展開する。①『満洲グラフ』に一貫して民族的他者に関する記事があることを誌面に即して示す。②同誌における、前近代/近代に分離された女性性の問題を指摘する。③植民地としての満州の地理学的・政治学的条件を検討し、その諸条件と同誌の表象との関連を検討する。