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第12回大会|パネル13:芸術家と自己表象

*開催時間、場所が変更されました
日時:2016年7月2日(日)14:00-16:00
場所:前橋市中央公民館5階503学習室

パネル概要

・そして彼は神話になった──芸術家のイメージ形成における評論・伝記の寄与/片桐亜古(札幌大谷大学)
・ ジョルジョ・モランディの自己表象──チェーザレ・ブランディ「モランディの歩み」を通して/遠藤太良(京都大学)
・ 古典理解の顕示を通した自己イメージ戦略──Ch゠V・アルカンによるモーツァルトへの言及を例に/村井幸輝郎(日本学術振興会/京都大学)
【コメンテーター】岡本源太(岡山大学)
【司会】杉山博昭(早稲田大学)


 我々が個々の芸術家に抱くイメージは、以下に形成されるのだろうか?本パネルは芸術家のイメージ形成と他者の関わりについて、二つの事例と一つの思想を追うことで、その多様な様相のいくつかに光をあてることを目的とする。
 他者が関与する芸術家のイメージ形成といえば、まず伝記や評論の執筆が想起されよう。そこに、芸術家本人が検閲を加え、自らのイメージ形成の手段として利用した例として、20世紀イタリアの画家モランディが挙げられる。饒舌な他者の語りが、画家本人の主観に過ぎないものを「客観的」なものとして提示するにあたり、好都合な媒体となるのである。また逆に、古典となった物言わぬ他者を評することは時として、芸術家が見識のある自己としてのイメージを顕示する、格好の場を提供する。19世紀フランスの音楽家アルカンが手紙中で、および、編曲活動を通して繰り広げたモーツァルトへの言及を検討すると、そうした自己表象の提示戦略の好例が跡付けられる。以上の二つの事例を俯瞰する視点を提供するのが、20世紀イタリアの思想家パレイゾンの論稿である。パレイゾンは芸術家のイメージ形成における評論や伝記の寄与に着目し、作品の評価という観点から考察を進めつつ、解釈理論における作品鑑賞の一般的態度と彼らの鑑賞態度との差異を浮き彫りにしようと試みる。
 以上の論旨により、芸術家における他者を介した自己の表象化を様々な側面から提示できると考える。


そして彼は神話になった─芸術家のイメージ形成における評論・伝記の寄与

片桐亜古(札幌大谷大学)

 時には存命中から――後の世まで神話のように語り継がれる芸術家像はいかにして生まれるのだろうか。本発表の目的は、イタリアの思想家ルイジ・パレイゾン(1918-1992)の論稿を参照しつつ、一人の芸術家をめぐり後世まで語り継がれるようなイメージが形成される要因について、評論家や伝記作家の評価という観点から考察することである。パレイゾンによれば、評論家や伝記作家の評価は以下の二点において特徴づけられる。第一に、評価の観点が作品の質・芸術性に限定されるということはない。作者の生き方をも視野に入れ、両者の相互連関に鑑みつつ作品に対する評価が与えられる。第二に、評論家や伝記作家による評価には、評価を与える者の恣意的な見解が加味される。これらの点において、彼らの作品鑑賞の態度はパレイゾンの解釈理論における一般的な作品鑑賞の態度、「読み(lettura)」もしくは「上演(esecuzione)」とは区別される。
 この問題を考察するにあたり、発表者は彼の小論「芸術から伝記へ(Dall’arte alla biografia)」(1966)、「伝記から芸術へ(Dalla biografia all’arte)(1966)および「美学――形成性の理論(Estetica. Teoria della formatività)(1954)に編集されたいくつかの論稿を主要な参考文献として用いる。管見においては、作品や芸術家に対する評価を評論や伝記との関連において考察した彼の論稿に関する先行研究は前例がない。本考察により、パレイゾンの解釈理論の新たな側面に光をあてることができるであろうと発表者は考える。


ジョルジョ・モランディの自己表象─チェーザレ・ブランディ「モランディの歩み」を通して

遠藤太良(京都大学)

 本発表は、20世紀イタリアの画家ジョルジョ・モランディ(1890-1964)の自己表象について、美術史家チェーザレ・ブランディ「モランディの歩み」(1942)を考察することを通して明らかにするものである。生前、自らの画業についてほとんど語ることがなかったモランディは、それに代わるものとして、懇意にしていた美術史家達に自身についての批評の執筆を依頼しその内容を事前に「検閲」することにより、他者の手による批評を自己表象のための手段として利用していた。こうした批評家との「合作」によるモランディの自己表象は、これまで、彼を、他の画家と一線を画し、堅固なフォルムを描き続ける画家として位置づけるものと解釈されてきた。そして、その代表的なテクストと見なされてきたのが先に挙げたブランディのモノグラフなのである。
 しかしながら、このモノグラフの内容を、当時の他の批評言説を見据えつつ詳細に検討するならば、1930年代に多く見られるフォルムが融解する作品に対する積極的な評価など、先の解釈に留まらないモランディの画業が持つ多様な側面が記述されていることが明らかとなる。本発表では、これまで等閑視されてきたブランディのテクストにおけるそうした記述に着目することでモランディの自己表象に新たな一面を付与する。同時に、モランディの自己表象をブランディがいわば「代筆」した理由についても、ブランディ自身の思想等を踏まえつつ考察していきたい。


古典理解の顕示を通した自己イメージ戦略─Ch=V・アルカンによるモーツァルトへの言及を例に
村井幸輝郎(日本学術振興会/京都大学)

 物言わぬ過去の芸術家、とりわけ古典と称される大家を巡り、自己の見解を顕示することは、当世の芸術の移ろいからは隔絶された普遍的価値なるものの理解者や擁護者として、自己のイメージを提示する格好の場となろう。本発表では以下の論旨に従い、19世紀パリの音楽家Ch=V・アルカンによるモーツァルトへの言及を、こうした他者を介在させた自己イメージの提示戦略として再考する。
 アルカンは、自身を差し置いてパリ音楽院の教授職を射止めたマルモンテルを酷評する手紙で同氏のモーツァルト理解を批判し、また同時期にモーツァルトのピアノ協奏曲K.466をピアノ独奏用に編曲して出版した。極めて興味深いのは、マルモンテル批判においては手紙中でモーツァルトの楽想指示を「彼の天賦の才にかくも調和している」ものとして絶賛するアルカンが、編曲では楽想指示を19世紀的なやりようで原曲から少なからず変更・追加していることである。一見矛盾するこの二つの態度は、双方ともに自己イメージ戦略の一環であったと捉えれば、調停されうるものである。
 以上の論旨を、当該編曲や同時代の類似の試みに関する先行研究を踏まえて論じる本研究は、19世紀パリにおけるウィーン古典派の庇護者としてのわれわれが持つアルカンのイメージの形成過程の一端を浮き彫りにするとともに、古典理解の顕示を通した自己イメージ戦略というトポスに考察に値する事例を提供することになろう。

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