表象文化論学会表象文化論学会

Conventions

第12回大会|パネル10:映画をきく──スタジオ・システム崩壊までの日本映画の音楽

日時:2016年7月2日(日)14:00-16:00
場所:前橋市中央公民館5階504学習室

パネル概要

・浪曲映画と戦前日本の映画音楽/ 柴田康太郎(早稲田大学)
・ 小津安二郎『麦秋』におけるオルゴール音楽/正清健介(日本学術振興会/一橋大学)
・ 戦後日本映画のスタジオ・システムと音楽家──作曲家・芥川也寸志を例に/藤原征生(京都大学)
【コメンテーター】仁井田千絵(早稲田大学)
【司会】正清健介(一橋大学/日本学術振興会)


 ほとんどの自然言語において「映画をみる」とは言うが「映画をきく」とは言わない。その言葉遣いには、映画は「見る(観る)」ものであり、「聞く(聴く)」ものではないという前提があることは明らかであるが、この前提は前提としてあまりにも看過されすぎた前提である。映画史はサイレントより始まるが、その頃すでに興行において音は映画の構成要素としてあり、1920年代後半のトーキーの到来を待つまでもなく、音楽を筆頭に、声や物音といった音響要素は、常に映画の画面と共にあった。むろん一部の音楽映画を除きその音響要素に積極的に耳をすませる者は少数派であったことは想像に難くなく、「映画をみる」という言葉遣いが歴然と示すように、今日においてもその状況は依然変わっていないと思われる。
 本パネルの目的は、その少数派の「映画をきく」者達の視座に立ち、我々にとって身近でありかつ先行研究の蓄積のあるスタジオ・システム崩壊までの日本映画を、音という観点から再考することである。特に本パネルが取り上げるのは、音楽である。発表者は、この音響要素を、戦前の浪曲映画を対象とした映画ジャンル論(柴田)/戦後の小津安二郎映画を対象にした映画作品論(正清)/芥川也寸志の映画音楽を対象にした映画産業論(藤原)という3つのそれぞれ異なる形で論じ、戦前から1970年代初頭までの日本映画における音楽を巡る状況を多角的な側面から明らかにすることで「映画をきく」ことの意義を検討する。


浪曲映画と戦前日本の映画音楽

柴田康太郎(早稲田大学)

 戦前の日本では、小唄映画、浪曲映画、ミュージカル映画など多様なかたちで音楽映画が製作されていた。先行研究のなかでも、とりわけこうした戦前日本の音楽映画については、笹川慶子が一連の研究のなかで欧米の音楽映画と比較しながらその特徴を指摘しており、浪曲映画についてもアメリカ映画と異なる視聴覚的シンクロのゆるやかな独特の音形式のあり方があったことを浮かび上がらせている(笹川 2010)。
 しかし浪曲映画を中心的に扱う本発表は、笹川の考察を引き継ぎつつも従来の研究が対象としてきた小唄、琵琶唄、浪曲など歌としての「音楽」だけでなく、その背後で流れている伴奏音楽の「音楽」のありようをも交えて、「音楽映画」の音形式のあり方を再検証する試みである。日活の浪曲映画『紺屋高尾』(志波西果、1935)を端緒としつつ、東宝の『エノケンの森の石松』(中川信夫、1939)、『虎造の荒神山』(青柳信雄、1941)を分析することを通して、本発表は浪曲映画の伴奏音楽が浪曲そのものと同じように視聴覚的シンクロのゆるやかな音形式とともにあることを示すとともに、トーキー化を経た「音楽映画」というジャンルのなかでの音形式の多様化と再編成のあり方を示すことを試みる。


小津安二郎『麦秋』におけるオルゴール音楽
正清健介(日本学術振興会/一橋大学)

 本発表の目的は、映画『麦秋』(1951)の3つのシーンで流れるオルゴール音楽のあり方を物語との関係において明らかにすることである。サセレシアに代表される小津映画の音楽は「無関心の音楽」と呼ばれるほどシーンとの「意味作用上の乖離」を特徴とする(長木 2010)。しかし、先行研究において、本作のオルゴール音楽は例外的に「平行法」の音楽としてシーンとの意味的連関が指摘されている(辻本 2011)。しかし、その指摘は主に旋律の明暗でシーンとの連関を論じるものであり、この音楽がオルゴール音楽である点や既成曲「埴生の宿」である点は十分に俎上に載せられていない。そこで本発表は、この2点を考察対象に入れることで音楽とシーンのより仔細な連関を探り、それが「平行法」の音楽として存立するまでの過程を各シーンで示される物語の推移を追いながら明らかにする。
 また、本作において小津は「音の遠近法」を採用しているが、オルゴール音楽はシーンの場の移行に伴って聴取点が変わっても音色・音量に変化が見られない。そのような一本調子のオルゴール音楽は、オルゴールが映されないという事実も相まって音源を物語世界内に見出すことができない。これはミシェル・シオンの言う「オフ」に類別されるが、本発表は「オフ」の枠組に留まることのないその物語世界内の音に近い性質を明らかにし、最終的にこの性質が「平行法」の音楽としての存立過程に、ある特殊性を付与していることを指摘する。


戦後日本映画のスタジオ・システムと音楽家─作曲家・芥川也寸志を例に
藤原征生(京都大学)

 近年、映画の産業としての側面に着目した研究が活発である。日本映画研究では、戦後映画の発展に大きな影響を与えたとされながらも従来学術的研究の機会に恵まれなかった「五社(六社)協定」の成立について一次資料を丹念に読み解いた井上雅雄(井上 2016)や、東宝の専属俳優だった池部良(1918-2010)の旧蔵資料から、彼が松竹の専属俳優だった佐田啓二(1926-1964)と共同でテレビドラマの制作を試みた史実を掘り起こし、その試みを「脱スタジオ・システム的共闘」と位置付けた羽鳥隆英の論考(羽鳥 2014)が主要なものとして挙げられる。しかし、これら先行研究の中で扱われるのは俳優や監督といった限られた範囲であり、多方面から終結した人材の協働による映画制作を深く理解するために、検討すべき箇所はまだ多く存在する。その一つが映画の音楽に関わる人的交流である。
 本発表では、戦後日本の作曲界を牽引した芥川也寸志(1925-1989)の映画音楽実践を例に、当時の音楽家たちがいかにして「五社(六社)協定」を始めとしたスタジオ・システムの論理に取り込まれ、あるいはいかに「脱スタジオ・システム的」に映画音楽に携わっていたかの解明を試みる。芥川が《赤穂浪士のテーマ》を制作会社や作品ジャンルを超えて幾度も流用したことは、その際の参照項となる。本発表によって明らかになる音楽家と映画音楽との繋がりの一例は、産業史的映画研究の深化と、より多様で立体的な映画史の構築に貢献できるだろう。

ホーム > Conventions > 第12回大会 > パネル10:映画をきく──スタジオ・システム崩壊までの日本映画の音楽