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第11回研究発表集会|研究発表2 芸術における野生の思考

日時:2016年11月5日 13:30 — 15:30
場所:青山学院大学青山キャンパス17号館(17408教室)

  • 居村匠(神戸大学)「オズワルド・ヂ・アンドラーヂ「食人宣言」における芸術思想について」
  • 小松いつか(立教大学)「フリーダ・カーロ、死する身体の分裂と再生への予感」
  • 遠山いずみ(立教大学)「受動性においてもたらされる「セルフ・ポートレート」――松井冬子の作品における「passions」」

司会|田中純(東京大学)

居村匠(神戸大学) 「オズワルド・ヂ・アンドラーヂ「食人宣言」における芸術思想について」

 本発表は、ブラジルの詩人オズワルド・ヂ・アンドラーヂ(1890-1954)による芸術マニフェスト、「食人宣言」(“Manifesto Antropófago”, 1928)の分析をとおして、その芸術思想を明らかにすることを目的とする。本宣言においてアンドラーヂは、先住民であるインディオの食人習慣を理念的モデルとして取りいれ、西洋文化を消化・吸収することでブラジル独自の文化・芸術を構築することを目指したとされる。しかし、そのような文化・芸術構築についての直接の言及は宣言の一部に過ぎない。アンドラーヂは、一方ではブラジルの歴史について述べ、他方で、古代ギリシャからジグムント・フロイトやシュルレアリスムといった同時代の動向まで、西洋の教養に幅広く言及してもいる。こうした記述は、従来の自文化構築という見方だけでは十分に説明することができないように思われる。では、「食人宣言」とは、どのような思想を示すものなのだろうか。
 発表者は、この宣言における「食人」という表現をたんなる比喩としてのみ扱うのではなく、より具体的な身体性をともなったものとして扱うことで、アンドラーヂが「食人」をとおして示した芸術思想を明らかにする。分析をとおして示される「食人の思想」は、ブラジルのモデルニスモの特性を明らかにするだけでなく、西洋中心的な芸術観の再検討を促すものとなることが期待される。


小松いつか(立教大学) 「フリーダ・カーロ、死する身体の分裂と再生への予感」

 メキシコの画家フリーダ・カーロは、自身の痛みを表わす自画像を描いたことで知られている。晩年、片足の切断を余儀なくされ死が間近に迫ったカーロのイラストには、分裂した身体の描写が目立つようになり、その背には羽が描かれる。今にも飛び立たんとするイラストは、死する肉体を離れて新たな生命へと向かう神格化した自身の姿を表していると考えられる。本発表は彼女が死の間際まで描き続けた日記を中心に、死へ向かう身体について考察を進め、彼女の絵画に表された生命循環の思想を読み解くことを目的とする。
 先行研究において日記は痛みや死を隠喩的に示すものとして触れられてきたが、彼女が生涯追求し続けた生命循環の思想を探る議論の中心として扱われてくることはなかった。
 日記の中に記された、結合し分裂する身体や植物的な生命へと導かれていく性の思想は、メソアメリカに伝わる創造神話を連想させる。神話は生命の内に神々の種子が宿ることから始まり、その種子は死を迎えても再び新たな生へ向かうことを伝える。
 カーロの絵画は自らの痛みや死の予感を忠実に描くことで生命身体に内在する神の姿を示し、我々もまた創造を促す本質の一つであることを知らせる。本発表は日記の中に記された彼女の身体の描写に着目し、カーロが極めて私的な日記の中で生命の内にある神々の存在に気付き、結合や分裂を繰り返しながら自身の身体を神格化していこうとしていた姿を明らかにするものである。


遠山いずみ(日本学術振興会) 「受動性においてもたらされる「セルフ・ポートレート」──松井冬子の作品における「passions」」

 人が自ら捉える自分は、自-他の区別によって生起するが、区別が分離と同時に接触でもあるため、揺らぎ続ける境界に触覚性を帯びて曖昧にあらわれる。自分は明確な「自己」の形に極まらない「わたし」に留まる。本発表では、自-他の区別および境界から発する触覚の受動性を基に、自分の生起に関わる自分イメージの遺物である「セルフ・ポートレート」のあらわれを、松井冬子の作品を例に考察する。
 A.リンギスの「他者」「ノイズ」「passions(激情、受動、受難)」などのキーワードを、E.レヴィナスからの流れを意識しつつ参照し、松井の作品を精査すると、松井が制作の基礎に置く「痛み」は、「激情」つまり理解不可能なものの襲来を意味することがわかる。自分の生起が自-他の分離と接触を伝える触覚によることに鑑み、絵の地と質感に注目すると、松井の作品が触覚的に喚起されたリアリティに裏づけられた「セルフ・ポートレート」だと確認できる。また、鑑賞者が、「痛み」の「受動性」を通して自身に降りかかる「痛み」と絵に課せられた「痛み」を重ね、受動的存在としての自分を見出すことからも、厄払いにおける「身代り」を彷彿させる松井の絵は、自分を託す「セルフ・ポートレート」となり得る。
「passions」は、松井の作品では、突然襲来し制御不可能な「激情」であり「受動」だといえるが、「キリストの受難」に結びつけるのは拙速だろう。しかし、厄を負わされた「身代り」と見るなら、「passions」による試考は、「受難」としても、意味をなすと思われる。

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