日時:2016年7月10日(日)16:30-18:30
会場:立命館大学衣笠キャンパス 以学館23号室

パネル概要

・「世界の都」を開く血——ゴンファローネ兄弟会の受難劇/杉山博昭(早稲田大学)
・霊の身体に通う血——ケイティ・キングの脈拍測定/浜野志保(千葉工業大学)
・戦場から持ち帰られる血——日露戦争における血の幻影/向後恵里子(明星大学)
【コメンテーター】橋本一径(早稲田大学)
【司会】向後恵里子

 わたしたちはみな血の嚢である。
 ふだん皮膚の下にあって見えないが、血液はたしかに体内をめぐり、その脈動は生きていることのあかしとなる。皮膚が破れれば、赤い血が肌を伝い、命を損ないながら、凝って固体へ、黒い染みへとかたちを変える。血が目撃されるのは必ずその肉体が損なわれる瞬間であり、生が喪われたあともなお遺される、ひとの最後の痕跡ともなる。
 かような肉体のしるしであるとともに、血は呪力の源でもあった。古来より血を使う儀式は多く、聖杯に満たされる血も、起請文の効力を約束する血も、この人体からうみだされる液体に神秘的な力をたくし、肉体をこえた霊的なものとの関係をとりむすぶイメージの媒介としてはたらく。
 血はしたがって、生身のだれかの肉体とぬきがたく結びつきながら、液体と固体、物質と精神、生命とその喪失とのあわいで表象されてきた。それはときに水を染めた贋物であるかもしれない。本物の血のむこうにあらわれる幻影の証明かもしれない。血は肉体とイマジネーションとを結ぶメディアであり、その血の流れのうちには常になにかが顕れ、なにかが隠される。本パネルは、こうした普遍的でありながら多様な意味のあいだにゆれ動く血の表象を主題とし、杉山は血の宗教性を、浜野は物質性を、向後は正統性をそれぞれ検討する。そのうえで、血の顕現と隠蔽の諸相のうちに、肉体とイマジネーションの表象を探究する。


「世界の都」を開く血——ゴンファローネ兄弟会の受難劇
杉山博昭(早稲田大学)

 1490年から1539年の聖週間に聖地ローマへたどり着いた巡礼者は、ほぼ例外なく、ゴンファローネ兄弟会制作の受難劇を見物して贖宥を得た。現在、しばしばこの受難劇は、同時代の反ユダヤ的感情の投影という文脈で参照される。実際、上演後の見物客は毎年のようにユダヤ人へ暴行を加えており、この「不祥事」を重く見た教皇パウルス3世は、受難劇の上演禁止とローマ初のゲットー建設を指示したのである。
 しかしローマ受難劇をこの「不祥事」をもって総括することは、ウィッシュが『信仰を演じて』(2013)で指摘したとおり、短絡にすぎる。そこで本発表は、上演を構成した二つの要素に注目する。まず上演会場であるコロッセウムとそこにいたる宗教行列のルートを確認し、異教世界最大のモニュメントやティトゥス凱旋門において交差した人文主義者と教会の欲望を考察する。次にその場において「キリストに倣いて」流された血を確認する。つまりキャストであるキリスト役が柱に縛られて流す血と、スタッフである同兄弟会会員がローマ市内を行進しながらみずから傷つけ流す血である。ときに屠畜業者が製作した衣装からしたたる前者と、同兄弟会が経営する病院において手当される後者は、興味深い相補性を見せる。
 研究史上初めてキリスト役の衣装を検討する本発表は、ケノーシス(神性放棄)の表象がローマに刻んだ美的かつ宗教的な裂け目と、共同体を更新しつつその攪乱を招いた「世界の都」の中心の空虚をあきらかにするだろう。


霊の身体に通う血——ケイティ・キングの脈拍測定
浜野志保(千葉工業大学)

 近代心霊主義の交霊会では、霊は生身の人間と同じような身体を持つ姿で出現することがあった。このような霊の完全物質化を英国で初めて行なったとされるのが、霊媒フローレンス・クックである。物理学者ウィリアム・クルックスは、霊媒が霊に扮しているのではないかという疑惑を晴らすため、交霊会に出現した霊ケイティ・キングの脈拍と霊媒クックの脈拍との比較を行った。水療法の提唱者として知られる医師ジェイムズ・マンビー・ガリーも、クルックスと共に交霊会に参加し、霊と霊媒の脈拍測定を行っている。だが、そもそも「脈拍」が測定可能であるということは、その身体に血が通っているということ、すなわち、心臓があって血液を送り出し続けているということを示している。クルックスやガリーの主張する通り、脈拍を測定された身体が霊媒ではなく霊のものであるとすれば、そのような身体を持つ霊は、死者でありながら生きているということになるのではないか。本発表では、そもそも死者であるはずの霊が「血」の通う生々しい身体を持って現れること、さらに、そのような霊の身体のあり方が心霊主義者たちによって違和感なく受け入れられたことの意義について、ガリーによるキングの脈拍測定の写真や、その他のキングの写真、キングに関するクルックスの手記およびガリーの証言、同時代の心霊主義者および批判者たちによって書かれた物質化論などを主な手掛かりとして考える。


戦場から持ち帰られる血——日露戦争における血の幻影
向後恵里子(明星大学)

 古来戦場に血はつきものである。刀剣であれ砲弾であれ、肉体の損壊があるところ血はかならず流れ、多くの詩人はその様をうたってきた。しかし、画家はどうだっただろうか。血は描くべきなのか、そうではないのか? 西洋の近代戦争画では、どれだけ凄惨な場面でも、血は抑制されるかまったく描かれない。ときには血の流れない理想の戦場が出現する。他方、日本近世の歌舞伎や錦絵においては、血は鮮やかに体を染めて流れ出す。激しい戦いであればあるほど、現実をこえた流血表現がつきものとなる。この血の表現をめぐる異なる潮流が出会い、実際の血と虚構の血とがせめぎあって、血のデコールム(適切さ)がゆれ動くのが1904(明治37)年におこる日露戦争である。この戦争はそれまでよりはるかに多くの死者・負傷者を数え、報道も物語もその言説は朱に染まり、「屍山血河」の戦場が語られた。ここには近世より続く英雄の血の物語がある。一方視覚表現において、血は抑制される傾向にある。描かれた血が「嘘」または「下品」に見えることを恐れる編集者は、挿絵画家たちに血を描かないことを注文すらした。しかし流血をめぐる英雄のイメージは、「本当の血」――すなわち、戦場から持ち帰られる血、血痕ののこる遺品を展示することに向けられる。本発表では、これらの、語られ、描かれ(ず)、持ち帰られる血の表象において、日露戦争における現実と幻影がどうむすびつくのかを検討し、その血が可視化する戦争のイメージについて考察する。