日時:2015年11月7日(土)午前10:00-12:00
場所:東京大学駒場キャンパス21KOMCEE(East 2F-213)

・滝浪佑紀(城西国際大学)「階段、暴力、結婚——キング・ヴィダー『結婚の夜』ならびに小津サイレント作品を背景とした、小津安二郎戦後作品の考察」
・今村純子(早稲田大学)「「見ること」から「創ること」へ――想田和弘監督『PEACE』をめぐって」
・宮本明子(東京工業大学)「娘たちと「投げる」こと――小津安二郎後期作品における翻案と様式化」

司会|長谷正人(早稲田大学)

滝浪佑紀(城西国際大学)「階段、暴力、結婚——キング・ヴィダー『結婚の夜』ならびに小津サイレント作品を背景とした、小津安二郎戦後作品の考察」

 小津安二郎戦後作品では、階段は(ほとんど)排除され、暴力は抑制され、嫁ぎに行く女性が繰り返し描かれる。こうした厳格に制限されたモチーフならびにスタイル上の特徴のために、小津戦後作品はしばしば、「日本的」というナショナルな価値に結び付けられた文化論的・道徳的解釈を招き寄せ、さらには同一主題の反復と差異に着目する、主題論的批評を誘発したのだった。もちろん主題論的批評は、小津作品を様々な「神話」から解き放つという点で重要な寄与を果たした。しかし、主題論的批評においても、サイレント作品以来の作品の軌跡に沿った発生論的視覚はかなりの程度、排除されており、さらには小津戦後作品が繰り返し描いた「結婚」という主題の持つ含意についても不問とされている。
 以上のような問題意識のもと、本発表は、(1)小津戦後作品がたびたび参照したハリウッド作品として、花嫁が階段から落ちることで死亡するキング・ヴィダー『結婚の夜』を指摘する。続いて、(2)ヴィダー以上にルビッチの影響が顕著な小津サイレント作品を背景として、小津が暴力の場としての階段を排除した理由を考えると同時に、(3)小津戦後作品において、明示的な暴力描写が回帰してきた例外作品として『東京暮色』に注目する。加えて、(4)スタンリー・カヴェルの30年代ハリウッド映画論『Pursuit of Happiness』を参照しつつ、小津作品に描かれる「結婚」の含意を「再婚」という観点から考察する。


今村純子(早稲田大学)「「見ること」から「創ること」へ――想田和弘監督『PEACE』をめぐって」

 自らの作品を「観察映画」と称している想田和弘監督の一連のドキュメンタリー映画作品は、キャメラの「見る」視線が被写体となった人や動物やモノから「見返されること」を写し取り、わたしたちそれぞれがこの映画世界を見ることを力強く促す。この「見ること」の交差を通して、作り手のみならず映画を見る者によって映画は創造され、それはわたしたちひとりひとりの生の創造をも促す射程を有している。
テーマ性の高い『選挙』(2007年)、『精神』(2008年)から一転して、第三作目となる『PEACE』(2010年)では、親しい他者やかれらが大切にしてきた人や動物やモノをキャメラは見つめている。それゆえ被写体の「心のやわらかさ」は否応なくわたしたちに伝播し、それぞれの心で、映画のなかの物音や表情や視線が奏でる音楽を聴く不思議さを体感することになる。
というのも、被写体となった人々同士がそれぞれ端的には「見つめること」が困難なもの――病や死、そこから導き出される差別や偏見、福祉を切り捨てる行政の有り様といった――を見つめ続けることを大切に育んでいるからであり、それを見つめるわたしたちの心の内側から、自らをもっとも強く感受する美的感情が溢れ出てくるからである。このような作り手と被写体と観賞者の眼差しの交感が映画を創造してゆく。矛盾や不条理を「見つめること」、さらには、そこから自らの生を「創造すること」はどのようにして可能となるのか、映画『PEACE』を通して考察したい。


宮本明子(東京工業大学)「娘たちと「投げる」こと――小津安二郎後期作品における翻案と様式化」

 小津安二郎の『晩春』(1949年)から『秋刀魚の味』(1962年)に至る作品群には、蓮實重彥が指摘する通り、「二十五歳前後」の娘たちが「主要な説話論的な機能を演じている」という特徴がある。彼女たち、すなわち結婚を控えた娘たちに注目すると、異なる作品で、しばしば同じような仕草をみせる。それは、娘たちが手にしていたものを「投げる」というものである。
 その仕草自体がとりたてて注目に値するわけではない。しかし、投げる主体、また投げられるものの向かう先をみれば、これらは、すでに知られた小津の映画における「投げる」こととは意味も内容も異なっている。娘たちがみせるのは、「捨てる―拾う」という関係や「憤り」などとは無縁の仕草である。また、これらは「『後期』の小津」のはじまりとされる『晩春』からすでにみてとれるものの、『晩春』が着想を得たとされる広津和郎の原作に同一の仕草はない。『秋日和』(1960年)の場合も同様である。つまり、「投げる」という仕草に注目すると、映画には、原作には登場しない娘たちがあらわれたことになる。
 では、それらが、『晩春』をはじめとして、以降の作品にどのようにみてとれるのか。また、彼女たちはどのような瞬間にものを「投げる」のか。小津の映画の娘たちに付与された仕草と、それらが複数の作品を通じて現れる様相を参照しながら、小津の後期作品の主軸を担う娘たちのひとつの特徴、様式を明らかにする。